見出し画像

あのうボク、迷子なんです。

昔、食品売場の店員をしていた頃のこと。売場で商品補充をしていると、いつの間にそこにいたのか、突然に背後から、声をかけられた。

「あのうボク、迷子なんです」

見るとそこには、5才くらいの男の子が立っていた。ちょっと難しそうな顔して、私のことをじっと見上げている。

その様子は、迷子で困っているというよりも、なんだかまるで、道に迷った訪問販売のセールスマン、といった表現が、うまく当てはまりそうだった。

”あのう、申し訳ないのは重々承知してますし、まぁ、結果的には、迷子になっちゃったということで、それは今更、どう弁解しても、ただの言い訳にしかならないのですが、とにかくこの状況はボクとしても、とても困った動かしがたい事実なので、ココはひとつ、なんとかご協力いただけないだろうか?”

・・・と、そんなふうに、今にも言い出しそうな感じだったのだ。なんだかよくわからないけれど、彼の目が、そんなふうに物語っていた。(もう少し子供らしさが、あっていいと思うのだけど)

迷子といえば、そのイメージは、わんわん泣きながら、自分の名前も言えないで、その子を見つけた店員が「どうしたの?迷子になっちゃったの?」という感じなのだけど、それに比べれはこの子は随分と、しっかりとした迷子だった。

”しっかりとした迷子”という表現も、どこか根本的な意味が飛んじゃってるけど、まぁ、それはともかく、私はこの子の親を捜さなきゃならなかった。

それは平日の午後の、気だるい空気が蔓延しているような時間帯だった。ほどよい賑わいの中、周りには、買い物カゴを持った奥様方が、夕食の献立を考えながらも、セールと書かれたポップを眺めながら、キャベツにするのか、レタスにするのか、迷っているといったそんないつもの日常が、あちこちにあふれていた。

そんな中、私はしゃがんで、
彼に微笑みながらも尋ねてみた。

「君の名前は?」
「りょうへい!」
「今日は誰と来たの?」
「お母さんと!」
「そう、じゃぁ、お母さん、一緒に探そうか?」
「うん!」

急にぱあっと、彼の表情が明るくなった。

私が右手を差し出すと、素直に小さな左手が答える。ちっちゃなその手のひらが、とても冷たくてビックリした。もしかしたら、ずっとひとりでいたのかもしれない。よく見たら泣きたいのを、我慢しているような気がしないでもなかった。

彼は彼なりに迷った末に、はじめて私に声をかけたのかもしれない。彼なりの勇気だったのだ。訪問販売のサラリーマンみたいだなんて、ふざけて思ったりしたこと、随分と反省をしたのだった。

「今ね、店内放送で、君のお母さんを呼んでみるからね」歩きながら私は彼に言う。「うん、お母さん、見つかるかなぁ」なんて言って、男の子は不安そうな顔をしてる。やれやれ、どっちが迷子なんだか。

たどり着いた先はサービスカウンター。そこで私は、店内放送で”迷子”の呼び出しをしてもらうつもりでいたのだ。受付係のAさんに、私は彼の名前を伝えて”迷子の呼び出し”をお願いした。

「それじゃ、あとはこのお姉さんが、お母さんを呼んでくれるからね。お姉さんと一緒に待ってるんだよ」と私はその子に声をかけた。

すると、男の子は、なぜだか何か言いたげに、ためらうような表情をしていた。まだ、何か不安なのだろうか?私は勇気付けるように「大丈夫だからね」と男の子に言って、それじゃ、と仕事が途中のままになっていたさっきの売場へと戻った。

「これを早く、終わらせなきゃ・・・」私は商品補充の続きをしながらも、さっきの男の子の不安そうな表情が、私の頭から離れなかった。”どうしてあのとき、もう安心していいはずなのに、あんな不安そうな顔をしたのだろう。”

そのときになって、私は”はっ”と気が付いたのだった。そうか・・・私は男の子に「一緒に探そうか?」と約束をしたのだった。なのに私ときたら、無責任にも、誰かに任せてしまったのだった。

二人だけの約束、放棄・・・
なんてことなんだ。

これじゃまるで、男の子にしてみれば、二度も迷子になったような不安を与えたのと同じじゃないか。男の子は、この”私”を選んでくれたのだ。私が母親を探さないでどうする?そんなことに、やっと気が付いたのだった。

サービスカウンターに戻ってみると、ちょうど母親に連れられて、帰って行くところだった。

母親が少し、声を荒げている。「どうしていなくなったの?こんなに迷惑をかけて!ほら、もう泣かないの!」肩を落として男の子は、とてもしょんぼりとしているようで、その後姿は何かを訴えているようにも見えた。

なんだかとても、ひどいことをしてしまったような気がした。「とても厳しい親なんでしょうね・・・あんなに泣いちゃって・・・」サービスカウンターのAさんが、その光景を見ながらも、誰にともなくそうポツリと言った。

男の子の涙の半分は、私のせいかもしれない。

”あの子は、本当は泣き虫なんかじゃない”と私は心の中でそう思った。そう、それはこの私だけが、知っていることなんだ。

こんな何気ない風景の中にも、いくつもの見えない人生は、誰かの胸に刻まれてゆく。誰も何も知らないままに。

彼の冷たい左手の温度は
まだ、私の右手を握り締めていた。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一