残酷な人生と幸せと。
私の心が弱くなっているからだろうか?涙が止まらなくなった。昔の新聞記事を見ていた。もう、遠い昔のある小学校で起きた殺傷事件でのことだ。
2年生の児童は、背中から血をポタポタ流しながら救急車の中で、先生にこう話しかけたと言う。「私、死んじゃうのかな?今日、お父さんが帰ってくるの。もう、お父さんとお風呂に入れないのかなぁ」
私は自分の娘が死んだ後の世界なんて考えられない。あの笑顔が二度と見れなくなってしまったら、たぶん私は生きる意味を失い・・・その後のことは考えたくもない。
私は過去に自分の死を、とても身近に感じたことがある。ある日、体調が悪くなり、病院に行くのを面倒に思った私を、妻が無理やり連れて行った。土曜日の午後だったけれど、病院は運よくまだ開いていて、その日に入院。そしてすぐ翌日に緊急手術をした。
あのとき、もう少し遅かったら、あのとき、もしも病院が閉まっていたら、私はこうしてこの日記を書いていなかったのかもしれない。
あの日から私は常に”人生”というものを考えるようになった。そして同時に”生きる”というそのことも想うようになった。
この人生を生きて行くのに、どうしてこんなにも悲惨で哀しく辛く生きていかなければならないのか。誰もが心の中でいつも思いつづけていることだろう。幸せなときは、この人生の中において、ほんの一瞬でしかないのかもしれない。
その一瞬のために、私たちは生きるというのだろうか。
私はひとつだけ信じていることがある。幸せは、どんなにどん底の状態にあっても、必ずすぐそばで私たちを見守ってくれている。その近くにあるはずの幸せを見つけることが出来るのは、唯一、私たちのこの”心”でしかない。
まだ、私たち夫婦に子供がいなかった頃。正直言ってお金はなかった。ある冬の寒い朝、私たちが住んでた借家には、まだエアコンもファンヒーターもなかった。私が独身の頃に使っていた古い石油ストーブが、じんわりと赤くなるのを待ちながら「寒いね」って私が手を震わせながら彼女に言うと、彼女は私の冷たい手を取って、自分のポッケに入れながら「暖かいでしょ」と笑ってくれた。
豊かな生活が必ずしも幸せとは限らない。
どんなに今がどうしようもなくても、きっと幸せはすぐそばある。今はそう信じていたい。それを見つけることに、果てしなく時間がかかったとしても、必ず心の傷は癒される。それをどこかで信じているから、人は明日もまた生きてゆけるのだろう。
それでも残酷な人生の中を、きっと私たちは生きてゆけると。
あの事件の中で遺族の母親のこんな行動とその言葉に、私は涙が止まらなかった。人は哀しみの中でさえも、こんなにもやさしい心を与えることが出来るなんて。
最後にそれを書いておきたい。
事件の起きた教室の廊下に我が子の血が点々と付いたあとを、その母親はひとつひとつ確かめるように歩きながら、やがて、血だまりのあった場所で、頬をこするようにしてこうつぶやいた。
「お母さんよ。もう安心して・・・」
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一