見出し画像

心の一番明るい場所。

私はずっと、この欠けた心について考えていた。

それはかなりストレスの溜まるやっかいな作業のように思えた。人とのある出来事が、とても歪んだ心を生んで、そして一部をなくしてしまっていた。

でも不思議なことに、思いつめてゆくうちに、心は次第に癒されてゆくのだった。とても信じられない現象だった。

ちょうどそれは長距離マラソンで走っているランナーが、苦しみぬいたその先に、急に快楽を得るような、そんなイメージによく似ていた。

誰も信じられないくらいに、苦しんで悩みぬいて、心の一番深い場所へといつしか辿り着いたとき、はじめて人は本当の”やさしさ”というものを、信じられるのかもしれない。

この悩みが、私にそんな大切なことを教えてくれた。

心がまるで何かやわらかいものに包まれてゆくようだった。いつのまにか、その人への憎しみも和らいでいた。いつのまにか、その人と笑顔で話している自分にとても驚いた。なんだ、簡単じゃないか、と調子に乗って思ったりもした。

あのとき私のこの心は、憎しみを超えてゆき、形さえわからないような歪んだ心に、向って落ちているのだと思った。あぁ、危なかった。憎しみのまま落ちていたら、私はどうにかなってしまうところだった。

いつも私は心の中で、日の当たる坂道のてっぺんのような、そんな心のあるべき場所を、見つめていたいと心から願う。

どんな物事もそうであるように、坂道の上から降りて行くことは簡単だ。簡単だけど、自分の意思もないままに、勢いついて下った先には必ず”憎しみ”がそこにある。

先日、こんなテレビを見た。何かのドキュメンタリー番組だろうか?日曜日の公園で、微笑んでいるご老人がいた。過去に偉業を成し遂げた人だ。今は現場を去って、静かに時を過ごしていた。

そんな人を見ると私はふと、こう思う。

あぁ、この方は人生の坂道の頂上に辿り着いた人なんだと。だから、あんなに笑顔でいるのだと思う。そこは一体、どんな場所なんだろう。私はその場所にあこがれてしまう。

でも、その場所に辿り着くまで、その老人にどんな試練があっただろう。いっそのこと登ることをあきらめたいと、どれほど思ったことだろう。”死にたい”と思わずつぶやいた夜も何度かあったのかもしれない。

でも、こうして長い季節をめぐり歳をとり、そのありふれた花を見て、日向で静かに笑っている。そこに辿り着くまでのそのご老人の人生を私は知らない。それでも結果として幸せな笑顔を浮かべている老人に、私はとてもあこがれる。

老人がくしゃみをして思わず唾が飛んでしまう。

若いレポーターが笑いながらも、まるで汚いものでも見るように身を引いていた。その大げさなリアクション。視聴率のための笑いがそんなに欲しいのかなぁ。老人は申し訳なさそうに照れながら笑っていたけれど、私はちっとも恥ずかしいとは思わない。

あの人はきっと、この人生の坂道の中で心の一番明るい場所に辿り着き、そして、こうしてここで日向ぼっこをしているのだ。

私の心は、やがてまた遠く、心の一番明るい場所を見ている。また、この人生の答えを探しに私はゆくのだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一