キャリアを他人と比較すると疲れてくる、という話
私はどう頑張っても一般的な凡人なので、どうしても他人と比べてしまいます。キャリアの話で言えば
・ポジション
・給与
あたりでしょうか。同年齢の人がどのくらいの待遇なのか、という点が気になってしまうのです。
もちろん同じことをしてるわけではないし、同じ職種というわけでもないし、もっというと同程度に優秀なわけでもなく、友人知人にも超絶優秀な人たちがいて、そもそも比べること自体がナンセンスとも言えるわけですが。
なぜか「自分より待遇がいい人と比べてしまう」というのは、凡人ならではのバイアスだと思うのですが、当然下を見れば下もいるわけで、突き詰めていけば
・自分がよければそれでよくないか?
ということでもあったりします。
おそらく、自分自身が「そんなにできの悪い人間じゃない」と思いたい部分もあり、また「同じ月160時間の労働で出すアウトプットに違いはない」と思いたい、願望の部分が強い気がしています。
野球の世界で言えば、「大谷選手はあれだけもらってるんだから」と言いたくなる気持ちでしょうか。野球はやらないのでわからないのですが、とはいえ100年に一人の傑人と比べても意味がないというか、やはりナンセンスな気もしています。
過去を振り返ると、お金に困っていた時期もあって「年収至上主義」みたいなところがあって、とにかく年収を上げたいという時期がありました。同年齢のスーパー優秀な人を見上げながら「なんで自分はそれほどもらえないのだろうか」と思ったりもしました。
ただ、いい年になってきて、いい加減自分の能力の限界や、体力的な限界を認めなければいけなくなって、
・24時間365日、出力MAXを維持して、仕事もプライベートも全力
なんてことは到底無理だとも感じています。
価値観にもよりますが、お金は多くあって困るものではないけれど少ないと多少困ることもあって、またお金が全てではないにしても自分自身の納得感としてはある程度の担保にもなっていたりして、あれもこれもと求めすぎていたなぁと思ったりもします。
近年では
・高収入限定!
・ハイクラス転職!
などの言葉が踊る転職業界で、エージェントもまず第一に待遇を出してくるような世の中で、それに踊らされずに「足るを知る」ことが重要なんじゃないかと思います。仕事って結局お金なの?と思ったりもします。同じ仕事をするなら給与は高いほうがありがたいですが、待遇が上がるのと引き換えにハードワークになったりプライベートを犠牲にしたりするくらいなら、どこかで折り合いをつけるのも賢さの一つではないかと、思うのです。
「あの人、つぎはあんなポジションか、だとすると年収はこれくらいだろうな」
などと思ってしまうのを辞めると言うか。自分を含め、本人がやりたくてやっている、本人が幸せだと感じているなら、それでよしとするべきで、比べるものではないよな、というか。
若い頃の10万円の差なんて生涯年収を考えれば誤差範囲ですし、逆にシニアになってからの大きな差は「資質の差」でしょうし、どちらにしても気に病んでもしかたないというか。
自分が暮らしていける、老後を考えてもなんとかなる、そのくらいの気持ちで良いんじゃないかと思う次第です。
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