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命に「たられば」は通用しないー【行動】することの意味

9時51分、LINEにライブドアニュースが流れた。【訃報】コメディアンの志村けんさん死去。目を疑った。「嘘だ」と何度も何度もつぶやいている自分がいた。気づけば涙があふれていた。

「キネマの神様」初主演、東京五輪の聖火ランナー、人生100年時代なのに志半ばで絶たれてしまった夢。志村どうぶつ園で動物に見せる優しさが好きだった。一瞬で人柄を見抜く動物からあんなにも好かれてしまう、そんな志村けんさんは本当に優しい人なのだろうと思っていた。

親の世代から日本を何十年にもわたって元気にしてくれた笑いの人の命を奪ったのは、誕生して数ヵ月のウイルス。あまりに理不尽すぎて、まるで自分のおじいちゃんが亡くなったときのように泣きじゃくった。

泣きじゃくったあとで「行動しないと」、そう思ってnoteを綴り始めた。私に社会的影響が皆無なことは百も承知だけれど「書く」という行動をせずにはいられなかった。私には絶対コロナウイルスに感染できない理由があるからだ。自分のためではない、ある人のためだ。

その人は19歳の若さにして母親になった。まだシングルマザーへの風当たりが強い1980年代に片親になりながらも立派に娘を大学まで行かせた。やっとの生活ができる限られた収入でありながら娘に悲しい想いをさせまいと夏休みにはハワイへ連れていってあげた。娘は幼いながらに日本とは違う空気感に触れ、海外という文化に興味を持つようになり英語の道を進むことになる。挫折を繰り返しながらも母譲りの不屈の精神で娘はバイリンガルになり同じように英語学習で苦しむ人のちからになりたいとサポートを始める。

そう、その「ある人」とは紛れもない私の母のことだ。世界一のマザコンと自負するほど私は母を愛しているし世界中の誰よりも尊敬している。そんな母は過去に肺の手術を受けている。私は絶対にコロナウイルスには罹れない。生まれて数ヵ月のウイルスに母の命は奪わせない。

今ではほぼ使うこともなくなったFacebookで何度か注意喚起をしてきた。「行動すること」に意味があると信じているから。でも依然として「自分には関係ない」そう捉えている人が多すぎる。そう考えている人に問いたい。「あなたに愛する人はいないのですか?」「ヨーロッパの悲惨な医療現場は見ていないのですか?」コロナウイルスはもはや個人ではなく国民レベルの問題だ。

日本政府にも非がある。初動も遅ければ、その後は曖昧な方針しか示さない。何より問題なのは感情に訴える場面が一度もないことだ。安倍首相が3月14日に開いた記者会見を生放送で流していたのはNHKだけだった。民法も一斉に放送するべきだったのではないか。小池都知事の記者会見にしても丁寧な口調で書面を読み上げるだけ。ただでさえ平和ボケしている日本の国民の心に届かないのも無理もない。

北海道の鈴木知事は感染者の拡大を受け2月18日に緊急事態宣言を出した。法的根拠に基づいた宣言ではなかったが道民は行動を変えた。結果、爆発的拡大と医療崩壊は回避された。道民が行動を変えたのは「道民の命を守る」という鈴木知事の誠実な想いが心に届いたからではないだろうか。

人は心を動かされないと行動しない。用意された原稿を読むだけの無機質な訴えは心に届かない。心を動かすのは、その人の心の奥から湧き上がる不器用なくらいの熱意であり、人間臭さがつまった誠意という感情だ。

「フランスでは16歳の健康な少女ジュリーさんが亡くなりました。母親のサビーヌさんは自分の大切な娘は普通の人生を歩むものだと信じて疑いませんでした。閉じたままにしておかなくてはならない棺のなかで眠る娘を前に、”お化粧も服を着せてあげることもできない”と言ったのです。日本でも医療崩壊の危険はすぐそこに迫っています。明日、あなたの愛する人がジュリーさんのような運命をたどることになってもおかしくない状況なのです。皆さんの命を守るのが私の役目です。この見えない敵との戦いに勝利するには皆さんの協力が求められています。少しのあいだ我慢を強いてしまいますが、ウイルスに打ち勝てる日は必ずやって来ます。今は大切な家族の命が奪われないよう、一致団結してこの危機を乗り越えましょう。」

そう涙ながらに訴えられれば国民は必ず耳を傾けてくれるはずだ。私たちは平和ボケしているけれどとても素直な国民なのだから。問題は我が国の首相がそんな熱いリーダーシップをとる日が来るのだろうかということ。だから私はnoteを通して「行動」することにした。それが今の私に唯一できることだから。私に社会的影響力はなくても、このnoteを読んだあなたの心に想いを届けることはできる。そしてあなたの想いがきっと誰かに派生する。そのちからを信じている。

命に手遅れは許されない。命に「たられば」は通用しない。

この悲しい混乱が収束したころに「あのとき志村けんさんが亡くなって国民の意識は変わったよね。」そう振り返れる日が来ると信じている。

志村康徳さん
自分の命を犠牲にして日本の笑いを守ってくれたような気がしてなりません。今日は日本が泣く日です。あなたの笑いは日本に、私たちの心に生き続けます。心よりご冥福をお祈りします。