見出し画像

「エイトシークエンスの鷲田」としてじゃなく、「鷲田」として。

エイトシークエンスのコンサルタントは、候補者様一人ひとりのキャリアプランをじっくりとお聞かせいただき、充実感と納得感のあるキャリアの選択をサポートしています。
今回のインタビューでは、コンサルタントの自己紹介と共に、キャリアの考えやモットーなどをお伺いしております。実際に話してみたいコンサルタントと出会われましたら、こちらよりお問い合わせください。
今回は、鷲田 健司(わしだ けんじ)こと「わっしー」です。

大自然が一番の遊び場だった幼少期

画像3

1987年12月10日、もののけ姫のモチーフになってもおかしくない様な田舎で鷲田家の次男として生まれました。
小さい頃からスポーツが大好きで、小学3年生の頃からスポーツ少年団で卓球を始め、県大会ベスト4にもなったことがあります。また、小学校4年生からは地域で盛んだったグランドホッケー部に入部し、全国大会にも出場。
中学校に進学するときには、別地区の卓球部からスカウトが来たものの、グランドホッケーで全国を目指すと決めていたためスカウトを断り地元の中学校に進学。グランドホッケー部に入部し、全国大会出場を果たしました。
当時からやると決めたことは必ずやりきるタイプであり、負けず嫌いの性格も相まって多くの結果を残せたように思います。

偉大な兄の存在

高い壁

でも、そんな私も大きな壁にぶち当たりました。それは、私の2つ上の「兄」の存在です。その兄もグランドホッケーをやっていまして、高校は兄と同じ、グランドホッケーの強豪校に進学。兄がいるグランドホッケー部に入部したものの、そこは今までと全く違う環境でした。
兄はジュニア日本代表のキャプテンであり、強豪校ではエースでした。入部当初から「鷲田健司」としてではなく、「エースの弟」という見られ方をされていまして、のしかかってくる期待とプレッシャーがあり本来持っていた実力すら発揮できなくなっていました。
すると次第に周りは「弟は大したことないな」と見るようになり期待もされなくなっていました。
私もそれにどこか安心するようになり、人一倍努力を積み重ねてきた兄の背中を見ていたはずなのに「努力はダサい」ことと思い込むようになっていました。
高校3年生の時にはメンバー入りするもレギュラーにはなれず、初めて挫折というものを経験しました。
今思えば、この頃から「鷲田健司として」という想いが芽生えたのかもしれません。

独りよがりな考え方

独りよがり

高校を卒業し、東京の大学に進学。大学でも部活動としてグランドホッケーを続けますが、そこは強豪校ではなくメンバーをそろえるのもギリギリな環境で今までは全く別の大変さがありました。グランドホッケーは11人で行う競技なのですが、就職活動で先輩が試合に来れないようなことがあると、10人で試合をしたこともありました。関東学生リーグで1部にはいるものの、2部との入れ替え戦を行うことが常連となっている中で「どうすれば1部で優勝し、全国でも結果を残せるのか?」ずっと3年間考えながら過ごし4年生を迎えたときに1つの答えにようやくたどり着きました。「皆が好きになるチームにしたい」私の大学では1年生からレギュラーであり自分の代で勝つのではなく、今この瞬間に全力を出してもらうことが求められました。ここでは皆が好きになるチーム作りに奮闘した詳細は記載しませんが、結果として1部リーグで35年ぶりの優勝、全国2位という結果を残せました。このことから、個人ではなくチームのために考えて行動することの大事さを学んだとともに、自分への自信が持てるようになりました。
チームワークの大切さを知った私は大学卒業後、就職活動で先輩社員が仰っていた「血は繋がってないけど家族みたいな会社だよ」という言葉に心を打たれ、日系スポーツメーカーに営業として入社しました。先輩の成功体験を取り入れ、自分でも新しい販売方法や得意先とのオリジナル商品を開発していくことで実績を残していきました。
でもいつしか、売上を伸ばすことに執着し、上司や先輩にも噛みつくような自分よがりな考え方になっていました。

先輩社員からの思いがけない一言

上司

そんな思いあがっていた私に対して、当時の先輩が「鷲田だったらもっと出来ると思ってたわ」と言ってくれました。私は勝手に会社に貢献できている。これぐらいの実績で良いだろうと自分にストッパーをかけていて、周りからはもっと「期待」をされていたんだとハッとさせられました。それからは、相手への伝え方・配慮はもちろん「個人ではなくチーム、そして会社全体のため」次から次へと現れる課題に対して行動で貢献してきました。
そんな時、気が付けば30歳も過ぎ、ふとキャリアについて漠然と悩み始めました。今の環境は決して悪くはなく、むしろ居心地が良い。なのに何故か満たされない・・・。
このモヤモヤの正体は「内なる自分が次のステージでチャレンジしなさい」と言っていることに気が付きました。
その声に気付いてからの行動は早く、当時スポーツメーカーからは珍しかったテック系M&A仲介のベンチャー企業に転職をします。そこでは本当に刺激的な毎日の連続でした。前職では代表から直接怒られるということはまずありえなかったのですが、ここでは称賛も叱責も直接代表からもらうことができ、本当に成長することが出来ました。コンサルタントとして入社しましたが、会社の成長に合わせ、コミュニケーション能力の高さを代表から買われ、戦略人事でキャリア採用を一手に任せられるようになりました。企業が求める人財と出会いご入社頂き、活躍支援をしていく。そんな中で1つの違和感が生まれ始めました。「なぜ優秀な方なのに会社のフェーズに合わない。カルチャーマッチしない」でサヨナラを言わなければいけないのか。
そんな時、私が行い始めたことはそんな方々のキャリア相談に乗り、別の選択肢をご提示することをしていました。今思えば人材紹介業のようなことを無意識にしていたのだと思います。
出会う人すべてのキャリアにずっと寄り添いたいと思うようになり、今の会社に転職を決めました。

想いとスタンス:合言葉は「トモダチ」

鷲田さんと奥さんa

私は今までの経験や体験を通じて周りの人たちからもらった言葉を活かし、いろんなことで悩んでいる方・半歩踏み出す勇気を持てない方に対し、悩んでいるポイントを一緒に整理させて頂き、目指したい先を一緒に探していきたいと思っています。その方の過ごす毎日が楽しくなったり、少しでも生きやすくなるような未来を一緒に創り上げたいです。
理想は、「出会う方々と全員とトモダチのような何でも話せる関係になること」です。私とご面談をしていると、皆さん家族のことや地元のこと、過去の事も色々話して下さって「私ばかり話過ぎてごめんなさい」とよく仰って頂いております。”「エイトシークエンスの鷲田」としてじゃなく、「鷲田」として。”これから出会う方々全員とトモダチのような何でも話せる関係になりたいと思っています。

鷲田 健司(わしだ けんじ)
早稲田大学社会科学部卒業後、新卒で日系スポーツメーカーに入社。
法人営業として大手小売店を8年担当し、その後スタートアップのM&A仲介会社に転職。戦略人事として主にキャリア採用を担当。今までに面接を通じ、約1,000名の方々とお会いさせて頂き採用・不採用だけではなく候補者様により多くの選択肢をご提示したいという想いから2021年に当社に参画。主に成長・転換期を迎えている、大手企業~スタートアップ企業に至る日系企業をサポートしており、経営幹部といったマネジメント層のキャリア支援を得意としております。
候補者様一人ひとりと真摯に向き合い将来像を1つ1つ一緒に言語化し実現に向けて中長期的なご支援ができるように取り組んで参ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?