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「ベイビー・ブローカー」が照らし出す3つ目の選択肢

人を許すのは難しい。それが自分のことを生んで捨てた母親ならなおさらだ。誰かを許すには多大な想像力が必要になる。

大好きな是枝裕和監督の新作「ベイビー・ブローカー」を見てきた。

とある事情で生まれたばかりのわが子を「赤ちゃんポスト」に預けた女性とその赤ん坊をこっそり養子縁組に出してお金を稼ぐことを生業にしている「赤ちゃんブローカー」、そのブローカーを追う刑事を描いたロードムービー。

捨てるぐらいなら生むな。血の繋がった家族でなければ家族とは言えない。家族というものはそういうものだ。

といった価値観に「果たして本当にそうなのか?」と真っ向から疑問を呈しているのが本作だ。

家族とは一体何なんだろう。家族のあり方にはある一つの基準しか存在しないのだろうか。

劇中に登場する登場人物たちは出自も立場も考えもバラバラ。そんな彼らはある赤ちゃんを巡った奇妙な旅を通じて「家族」となっていく。それも不完全な家族に。

彼らは汚くて古いクリーニング店のバンに乗車して旅に出るが、家族とはこのバンに近いのかもしれないと思った。長い人生の中で雨風を凌いで目的地へ向かうために乗っているもの。たまたまそれに同乗した人たちの集まり。どこかで途中下車する人もいれば、乗ってくる人もいる。そこに明確な基準はなくて、さまざまな形に姿を変えるもの。

劇中のこのバンの後部のドアは壊れていてきちんと閉まらないが、ここにこの家族の不完全さが表現されている。それでもこのバンは目的地に連れて行ってくれる。それでいいのだ。

すべての子供は血の繋がった母親に育てられるべき?それとも育てられないなら産まないべき?

この映画はこの疑問に3つ目の選択肢を提示している。

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