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その「ホウ」レンソウは必要だったのか〜『1917 命をかけた伝令』

「ホウレンソウ」が苦手だ。

「好き!好き!おひたしにすると美味しいよね。」
その食べ物の「ほうれん草」ではない。

社会人でよく言われる報告連絡相談の「ホウレンソウ」の方だ。

もちろん自分では意識してやっているつもりだが、仕事が忙しいと思わず抜けてしまって、上司に怒られることが多々ある。かと言って、ホウレンソウしすぎると、「それぐらい自分で考えろ」や「自分で決断しろ」と言われたりする。

うーん、その加減はどうしたらいいのやら。

しかも上司が捕まらない時は、報告出来ないが為に仕事の手が止まってしまうので、僕の中では弊害をもたらしている言葉だ。
自分がうまく対応できていないのが問題なのだが…

しかしそんなことを昔の人、特に戦時中は悩んでいる暇はなかったはずだ。

なぜなら自分のホウレンソウの有無が自分の故郷を、そして仲間の命の明暗を分けていたのだから。

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作品名:1917 命をかけた伝令(制作:2019年 イギリス・アメリカ合作)
監督:サム・メンデス
出演:ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン、ベネディクト・カンバーバッチ
あらすじ:時は1917年4月6日、第一次世界大戦の最中、イギリス軍とドイツ軍は激しい攻防を繰り広げていた。そんな時、スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)にある司令が言い渡される。
「明朝までに部隊に攻撃の作戦を中止させる伝令を届けてくれ」。その部隊はドイツ軍の罠だと知らず進軍しており、このままでは大殺戮が起こってしまうと。
しかもその部隊は1600人もの仲間がおり、その中にはブレイクの兄もいた。
スコフィールドとブレイクは仲間を家族を救う為、伝令を届けに戦場を走る。

●ちょっと待って欲しい

知っている人もいるかもしれないが、この映画は全編「ワンカット」ではなく、場面を繋ぎ合わせて「ワンカット風」に作られている。
しかしここで、「なんや、ワンカットと違うんか」と思うのは待って欲しい。

何故なら「ワンカット風」ではあっても、その見せ方の為に拘り抜かれた撮影・映像技術、そしてそれらの技術が魅せるストーリーへの没入感は、体験して損は全くないからだ。

少し、それらを語っていきたい。

○映画と演劇を融合させたマジックに没入せよ

何回も言っているように、この作品は様々なシーンを繋ぎ合せたワンカット風である。しかしそれは高度な技術というマジックで、繋ぎ目の違和感を感じさせない作りになっている。

例えば、ストーリーの中で爆破が起こり、人が瓦礫に埋まる場面がある。もちろん、それは場面を繋ぎ合わせて撮影されたものだが、「爆破前→爆破後」という分け目を感じさせず、何事もなかったようにその場を淡々と映し出しているのだ。

他にもある人物が殺される場面があるが、これも先ほどの爆破の場面と同じように、「死ぬ前→死んだ後」と分かれることなく撮影、編集されている。
具体的にいうと、死ぬ前後で明らかに顔色が異なる、すなわち顔に生気がなくなっているのだが、冷酷な言い方だが、違和感なく死んでいく。
そう、この映画では人が死に向かっていくことさえも出来事の一つとして、時が流れていくのだ。

その他にも様々な場面があるが、それらはまるでマジックのように人の目を欺いてくる。そしてそのマジックが映画と演劇の融合、実際はカメラで撮られた映像なのに、目の前で劇を見ているような、次から次へと起こる出来事に息をつく間も与えず、傍観させ、観客をストーリーに没入させてくれるのだ。

だからこの映画は他では中々体験出来なるからこそ、是非とも見て欲しい作品なのだ。

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○リハーサルが本番!?

これらが全てうまく言ったのはただ技術のおかげだけではない。
半年以上かけて入念にリハーサルを行った結果だ。

場面、場面で区切られているとはいえ、一場面の撮影が長い(インタビューを見ていると6分間も続けて撮影された場面もあったようで、主人公に無線でカットをかけていたこともあるようだ)。
だから一回ミスを起こしてしまうと撮り直しにかなりの時間を要してしまう為、入念な準備が必要になってくる。

その為にはまず、建物の大きさや塹壕の長さとありとあらゆる物を全て計算尽くした上でセットを組み、撮影を行った場合、どのような場面になるのか考え抜かれた。そしてリハーサルでも、主人公が走る距離やスピードを考え、どのようなスピードで撮影を行うかと言った様々な要素を踏まえた上で撮影が行われたようだ。

他にも照明が照らされるとどういう映像になるのか、実際に模型を作って行われたりと、ありとあらゆる準備を行って撮影が行われた、まるでリハーサルが本番でもあるように作られた映画でもある。

詳しくは公式サイト主人公二人のインタビュー(BANGer!!! アカデミー賞3部門受賞! なぜ超大作の主人公に無名の新人を? 若手俳優2人が語る『1917 命をかけた伝令』の壮絶な撮影秘話) を是非読んで欲しい。

そして、それを見た後にもう一度この映画を見直すと違った見方ができると思う。

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●最後に

ストーリーとしては「仲間の為に伝令を伝えにいく」と言う非常にシンプルであり、また派手なアクションも皆無なのが他の映画ではあまり見られない特徴だと思う。しかし、そのシンプルさが伝令の重要さを際立たせている。

だからこの映画でも言われている「命をかけた伝令」は過言ではないと思う。

ふと、もし自分がこのような状況に置かれたとして、主人公と同じような対応が出来るだろうか。

プレッシャーに押し負けて逃げ出してしまうかもしれない、はたまた仲間の為に同じように命を賭けて伝えに行くかもしれない。

もちろんそれはわからないし、そしてわかってはいけないと思う。

この第一次世界大戦で1000万人以上が亡くなっているとも言われており、そんな悲惨な戦争を人類は繰り返してはいけないからだ。

それはまた同じ第一次世界大戦のドキュメント映画「彼らは生きていた」という映画の感想の時にでも書きたい。

しかし、彼らはその映画で「ドイツ兵は敵ではなかった」と言っている。

そしたら彼らは何の為に戦ったのだろうか。

命をかけた伝令は必要だったのだろうか。

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