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あまりに切実で、深く感情移入するミュージカルをレビュー 【次に観るならこの映画】3月5日編

 毎週土曜日にオススメ映画をレビューする【次に観るなら、この映画】。今週は3本ご紹介します。

①【アカデミー賞2部門ノミネート】名作ミュージカル「RENT レント」を生んだ作曲家ジョナサン・ラーソンの自伝ミュージカルを映画化した「tick, tick...BOOM! チック、チック…ブーン!」(Netflixで配信中)

②【アカデミー賞3部門ノミネート】ある夫婦が直面する、結婚生活とキャリアの両方における危機や複雑な関係を描き出した「愛すべき夫妻の秘密」(Amazon Prime Videoで配信中)

③第74回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した、タイの名匠アピチャッポン・ウィーラセタクン最新作「MEMORIA メモリア」(3月4日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

「tick, tick...BOOM! チック、チック…ブーン!」(Netflixで配信中)

 ◇ラーソンが憑依したかのような圧巻の歌と演技! 若き天才の苦悩と葛藤の日々を緻密に描く(文:映画.com編集顧問 髙橋直樹)

 刻一刻と時は進む。誰にも平等に与えられているはずの時間、彼はあと8日で「90年の人生の三分の一」を迎える。チック、タック…人生の分岐点へのカウントダウンが続き、時計の針が止まった瞬間に爆発する。彼はそう信じている。だからタイトルは「tick, tick...BOOM!」だ。

 1990年1月26日、30歳の誕生日を前にジョナサン・ラーソンは人生の分岐点にいた。8年の歳月をかけ、ショージ・オーウェルの「1984年」をロック・ミュージカルに仕立てた「スーパービア」のプレゼンテーションまで1週間、第2幕を飾る曲がまだワンフレーズも浮かんでこない。何度も挫けそうになった彼を支えたのは、1957年に初演された「ウェスト・サイド物語」の歌詞と作曲の一部を担当したスティーブン・ソンドハイムだ。ラーソンに天賦の才があると確信した巨匠からの助言が心の糧となる。

 映画は、僅か10ドルの特別料金で、ワンナイト・オンリーで上演された伝説の舞台を横軸に、ラーソンが葛藤する日々を活写していく。緻密に設計された歌と踊りに日常のドラマを重ねることで、主人公の焦燥感を更に加速させる編集が冴える。「イン・ザ・ハイツ」のマイロン・カースタインとダーレン・アロノフスキーやウェス・アンダーソン作品で知られるアンドリュー・ワイスブラム、ふたりの編集マンがアカデミー賞【編集賞】にノミネートされたのも頷ける。

 90年代当時は不治の病とされたエイズによって、ラーソンは何人もの友を失った。いつ誰に襲いかかるかも知れない。先が見えない危うい空気感は、今、我々の眼前で起こっていることにも重なる。夢は人を食い尽くす。自分が抱いた無限の未来は大きすぎるのか。ソーホーの東で暮らし、カフェのウェイターで食いつなぎ、四六時中ミュージカルのことばかり考えている。こんな僕に輝ける明日はあるのか…。

 時にカメラ目線で語りかけ、時に仲間たちとの時間に身を委ね、時に喪失感に苛まれて心がへし折れそうになる。僅か8日間、だが濃密な日々を背負ったアンドリュー・ガーフィールドは、ラーソンが憑依したかのような圧巻の歌と演技で疾走を続ける。まさにオスカークラスの熱演だ。

 監督として「Tick,tick…BOOM!」にエターナルな輝きを与えたのはリン=マニュエル・ミランダ。2008年、「ウエスト・サイド物語」がスペイン語を交えて再演されることになった時、ソンドハイムが相談を持ちかけたのは、当時「ハミルトン」の原型となるミュージカルを準備していたミランダだった。パフォーマンスはもちろん、ビデオ、フィルム、8ミリと画角の差違で時代を照射し、恋人のために用意した予約席まで、細部に目が行き届いた演出が効いている。

 その後、ジョナサン・ラーソンは「ラ・ボエーム」を現代に置き換えた「RENT」を仕上げる。だが、開幕前夜の1996年1月25日、大動脈瘤破裂でこの世を去る。享年35歳。師であるソンドハイムは2021年11月にラーソンが生きたいと願った時間を全うし91歳で逝去した。ソンドハイムからラーソン、そしてミランダへ。ミュージカル界の三大巨星のDNAが引き継がれて結実した果実には、人生を豊かにする苦みが満ちる。それでもラーソンは歌い続ける。「ひとりじゃない、僕には仲間がいる」のだと。


「愛すべき夫妻の秘密」(Amazon Prime Videoで配信中)

◇TV黎明期の人気ドラマの舞台裏を題材に、配信時代の作劇に挑んだ名脚本家ソーキン(文:フリーライター 高森郁哉)

 「ソーシャル・ネットワーク」の脚本でオスカー像を手にしたアーロン・ソーキンが、監督業に進出して2作目のNetflix配信映画「シカゴ7裁判」に続き、今度はアマゾンと組んだ脚本・監督作が「愛すべき夫妻の秘密」だ。

 米国でテレビの普及が本格化した1950年代、6000万人もの視聴者を釘付けにしたシチュエーション・コメディ(シットコム)「アイ・ラブ・ルーシー」。このドラマで主人公夫婦を演じ、実生活でも夫婦だったルシル・ボールとデジ・アーナズの関係や直面した危機を題材に、ソーキンは時間軸と叙述法を巧みに操りながらストーリーを構築していく。

 全編の基調をなす第1の時間軸は、1952年のとある5日間、月曜の台本読み合わせから金曜の公開収録までを順に追う流れ。いつものように脚本や演出にも積極的に関与するルシル(ニコール・キッドマン)とデジ(ハビエル・バルデム)だが、折しもデジの浮気疑惑、ルシルの共産党員疑惑が相次いで報じられる。さらにルシルは自身の妊娠を局と協賛社の幹部に明かし、前代未聞の提案をして猛反対される。

 この流れに断続的に挿入されるのが、ルシルとデジが出会ってから「アイ・ラブ・ルーシー」主演を勝ち取るまでの経緯を伝える第2の時間軸。また、ドラマの共同脚本家3人が現在の年老いた姿で回顧する体(てい)のドキュメンタリー風パートは、第1と第2の時間軸をスムーズに切り替える役割を担う。さらに第1の時間軸の中には、ルシルが脚本からオンエア映像を予見するモノクロのシーンが差し込まれ、当時の放送を垣間見る楽しさも添える。

 ソーキンはエピソードの数々をリニア(線形)に積み上げるのではなく、独立した2本の時間軸を行き来し、さらに過去を振り返る視点と、未来を予見する視点も組み込む、いわばリニアとノンリニア(非線形)のハイブリッドな叙述スタイルに挑んだ。この工夫を凝らした構成ゆえ、初見では集中して観ないと消化不良になりかねないが、そこは配信サービスの利点で、全容を把握したうえで再見すると格段に見晴らしがよくなる。ソーキンの狙いもまた、繰り返し鑑賞することで味わいを増す、配信時代ならではの新しい作劇にあるのではないか。

 ただし、そうした試みはまだ道半ばかもしれない。今年のアカデミー賞には、本作からキッドマン、バルデム、そしてJ・K・シモンズがそれぞれ俳優部門でノミネートされているが、ソーキンのオリジナル脚本は候補から漏れた。それでも、男性優位の業界で逆風を受けながらも才能とチャレンジ精神で成功し、女性の地位向上に貢献したルシルの生きざまと同様に、還暦を迎えたオスカー脚本家が新たな作劇を模索する姿勢にも、勇気をもらえる気がするのだ。

 蛇足ながらゴシップ的なことを書くと、ニコールの元夫はトム・クルーズ、ハビエルの妻はペネロペ・クルスで、トムとペネロペはかつて恋人同士だった。時系列で追うと、婚姻関係にあったニコールとトムが「アイズ ワイド シャット」の夫婦役で共演し(ちなみに同作にも“配偶者の浮気を疑う”という要素がある)、のちに離婚。離婚成立前にトムはペネロペと恋仲になり、結婚目前と噂されるも破局。ペネロペはその後ハビエルと結婚した。

 だからもし、トムやペネロペが「愛すべき夫妻の秘密」を観たら、もちろん演技だと承知のうえで眺めるにせよ、ニコールとハビエルのキスやベッドインの場面に複雑な思いを抱くかも……なんて想像は、ただの余計なお世話ですね。


「MEMORIA メモリア」

◇脳内に響く爆音。アピチャッポンの新作は夢幻とサプライズに満ちたドラマ(文:映画.com外部スタッフ 本田敬)

 「ブンミおじさんの森」などで知られるアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が、初めてタイを離れて撮影し、74回カンヌ映画祭の審査員賞を受賞した作品。音と記憶をめぐる旅がテーマになっている。

 コロンビア・メデジンに住む農園家のジェシカ(ティルダ・スウィントン)は、入院している妹の見舞いで訪れた首都ボコタでの滞在中、脳内で不規則に響く破裂音に悩まされる。原因を探るため音響技師(フアン・パブロ・ウレゴ)に音を合成してもらったり、病院で出会った考古学者アニエス(ジャンヌ・バリバール)を遺跡の発掘現場に訪ねたりするうち、河畔ですべての記憶を持つ男(エルキン・ディアス)に出会う。

 東京でも2017年に開催されたアピチャッポンの個展「MEMORIA」の作品群に加え、監督が実際に体験した「脳内爆発音症候群」を物語の中心に置いた奇妙なファンタジー。スウィントンの役名は監督お気に入りの古典ホラー「私はゾンビと歩いた!」の登場人物、白いドレス姿で夢遊する農場主の妻ジェシカ・ホランドから取られており、本作で180㎝の長身を屈めて町をさまようスウィントンは、この幻想的なゾンビにイメージを重ねられている。

 タイ人として初めてパルム・ドールを獲得、今や三大映画祭の常連となった監督の新作だけに、プロデューサー陣は約40名にも上り、ジャ・ジャンクー監督や俳優のダニー・グローバーらも名を連ねており、世界の映画人が寄せる期待の高さを感じる。

 海外オールロケに加え主要キャストをプロの俳優で固めるなど、監督としての新機軸に目が行く本作。新旧の興趣を持つ都市部と、悠久の自然を感じる郊外とコロンビアの持つ二面性が、タイに劣らないロケ地であることを映画は証明する。

 俳優たちは贅沢な間合いの演技を披露。プロを起用して生まれた余裕は、従来のアピチャッポン作品の中でも少なめの100に満たないカット数とも相まって、観る者を陶然した境地へと誘う。そこにジェシカの「音」が唐突に響くことで、画面で体を震わせる彼女と同様に、我々も現実に引き戻される感覚を味わう。

 後半に登場する河畔の男によって「ブレードランナー」「マトリックス」にも通じる展開を見せ、スピルバーグに捧げられたような終盤は予想のはるか斜め上をいく。類い稀な才能ながら、タイ当局から政治的と断定され、国内での創作活動を制限されているアピチャッポン監督。逆にこれまで以上に活躍の場が広がることになれば、その方が喜ばしい。


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