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三田三郎『鬼と踊る』歌集評③~全体構成を語る読書会


歌集全体の構成について

書き起こし: クサナギ

それぞれ「鬼と踊る」を読んで評をしてきましたが、二人に共通して「歌や連作の並びが計算されている」という感想がありました。
では、歌集全体の構成はどうなっているのでしょうか。下記のように連作をいくつかのブロックに分けて考察してみました。

  • 第①ブロック95首

    • ワンダフルライフ(11 首)
      自律神経没後八年(10 首)
      ワイドショーだよ人生は(12 首)
      前科があるタイプのおばあちゃん(9 首)
      パーフェクトワールド(15 首)
      教訓(4 首)
      生活の魔術師(13 首)
      いざ出勤(8 首)
      アイム・ジャスト・ワーキング(13 首)

  • 人生(1 首)

  • 第②ブロック52首

    • 肝臓のブルース(10 首)
      二日酔いのエレジー(3 首)
      僕の歌(12 首)
      せめてあくびを(12 首)
      闘争的飲酒の夜(5 首)
      頻尿の季節(10 首)

  • 人生(Part2)(1 首)

  • 第③ブロック44首

    • 禁断の恋(6 首)
      俺もまぜてくれ(12 首)
      ハッピーシティー(10 首)
      路上より(6 首)
      疲れた男の話(10 首)

  • 人生(Part3)(1 首)

  • 第④ブロック29首

    • 故郷へ(5 首)
      今日はもう終わり(9 首)
      蛇足と言う奴が蛇足(4 首)
      待ってるんですが(11 首)

  • エピローグ(1 首)
    エピローグ(Part2)(1 首)
    エピローグ(Part3)(1 首)

※前回、前々回と、太字で強調されている酒浸りゾーンが論じられました。本記事では通覧の上、総括を試みています。(シゲフミ)

読書会

消耗と疎外の第①~第③ブロック

シゲフミ(以下、シゲ):歌集全体の連作の並びはどうなっているのか、先述の通り箇条書きして簡単にまとめてみました。インターバルとして意図的(※)に挿入されている、「人生」というタイトル付きの一首をもとに、ブロック分けして歌集全体を見ていきたいと思います。

クサナギ(以下、ナギ):だんだん歌の数が減っていく構成になっているんですね。第①ブロックはいわゆる「生活詠」「職場詠」が並んでいます。全体を通して、生活に疲れていることが感じられますね。世間一般で想像されるサラリーマンの姿という感じがします。

シゲ:職場をテーマにした「アイム・ジャスト・ワーキング」からは、具体的な業種や勤務場所がわかるわけではありません。多くの人に共感してもらえるように、あえてそうしているのかもしれないですね。

ナギ:第②ブロックの構造については連作評で詳しく述べましたが、第一ブロックを受けてその日頃の疲れを癒そうと酒に浸っているのかと思いました。個人的に気になったのは次の「人生(Part2)」から始まる第③ブロックです。自分も人並みの幸せがほしいのに、という憤りを感じます。

シゲ:「人並みの幸せ」というか、社会通念に添えない、添えなかったことから来る苦しみを滲ませる歌が多いな、という印象です。例えば、「婆さんの髪にどうしてピンクのメッシュ」「酔っ払いに脱ぎ捨てられた靴のくせに」だとか思うあたり、自他に関係なく「かくあるもの、はずだ」との意識が働いているのかも知れません。ただ個人の問題というよりは、そもそも世間で想定される普通や標準の範囲が非常に狭くて、始めから弾かれている人もいるし、それだけ要件が厳しければ、多くの人にだって幸せや成功を手にするのが難しい、という話では。

ナギ:今までのブロックの歌を読んで「溜まっている鬱憤」を見せつけられているからこそ、より狂気を感じます。内容が徹底的に統一されているためか、一冊を通して同じ主体が話しているように感じられるのですが、それも三田の工夫ですね。

終焉と回帰の第④ブロック

シゲ:第④ブロックは、「死ぬ」「殺す」といったワードが頻出し、急速に終わりに向かっている感じがしますね。人生(Part3)の歌も「死」を詠みこんでいますが、これも読者に最期を予感させるためかもしれません。このブロックの連作に「故郷」がありますが、この故郷というのもいうなれば「生まれた場所に戻る」ということ。

漏らす時期が過ぎて漏らさない時期が来て再び漏らす時期が来て終わり

「人生」より

でいうように、元に戻る=死に向かっていっているのかもしれませんね。

ナギ:「故郷へ」は不思議な連作で気になりました。他の連作と違い歌数も少ないし、故郷へ帰る主体の姿を緻密に追うことはしていません。登場する家族の特徴は示されておらず、具体的な像を結びません。記号としての「父」「母」のようで「カップル」へ向ける目線の冷やかさと同じように感じられます。この歌も特徴的ですね。

極限まで抽象化された父さんが換気扇から吹き込んでくる

「故郷」より

シゲ:確かに細部への言及がないことで、諸々の様子が漠たるままに留められています。むしろ、詳しく述べたらノイズになるんですかね。その辺りの情緒的なドラマは、特に中心的テーマでもないのでしょう。

ナギ:第④ブロック全体を見て、今までよりきっちりしたテーマ詠ではない連作が多いなと思いました。歌の内容とも相まって、ばらばらと築き上げてきたものが崩れていくような、いい意味で散発的な印象を受けました。

死後に飲めや踊れやのエピローグ

シゲ:そして第⑤ブロック。「エピローグ」というタイトルのついた一首が立て続けに三つ並びます。どの歌も死後の世界の話をしていて、本当に死んでしまっている。しかも死後も懲りずに飲んでいますね。

ナギ:歌集最後の一首、「 エピローグ(Part3)」がやはり気になりました。

千鳥足で来世へ向かう人間を輪廻からつまみ出すピンセット

「エピローグ(Part3)」より

繰り返しの毎日(=輪廻)から抜け出してやっと解脱できるというプラスの意味にも取れるし、みんなの輪に加わることができずまた疎外されるというマイナスの意味にも取れる。その解釈は読者の手にゆだねられています。まさに最後にふさわしいとどめの一首だと感じました。

シゲ:連作、連作間、果ては全体と、単位をどんどん大きくして、一冊の構成を重点的に考えてみるのも面白かったです。しかし今回の我々は、概ね「繰り返し」からああだこうだと言っていますが、他にも直喩や対比など興味深い使われ方をしたレトリックがあります。形から入る論にも、きっと深みがありましょう――どうか、広がりのあらんことを!(了)


※文学作品の鑑賞において(も)、発信者側の意図をどう取り扱うべきかに関しては議論が数多あり、本来ここには留保があります。ひとまず、連作間で定期的に置かれたタイトル付の1首が「インターバルとして作用する」ことから、「ややもすれば読者は効果を見込んだ意図を感じ取ってしまう」こともある、くらいが落としどころではないでしょうか。

本記事、及び『鬼と踊る』歌集評シリーズは、エイドラ4号(2023/05/21、第36回東京文学フリマ発行)に掲載した特集を、加筆修正の上で再構成したものです。

#短歌
#歌集評
#読書感想文

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