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消えてなかった【感情論】

たまには本音を。


そう思って、押し込んだり、わざと引っ張り出したり。
人は本音を言うことに怯えて生きている。

それこそ、大丈夫か聞かれると「大丈夫」と
条件反射で応えてしまうほどに。

おそらく、誰もが自分のなかでこれでもかというほど沈めて、埋めて。
抜け出せないプロセスで日常を生きている。

同情を強要する真意


消えていなかったんです。私のなかでも。
冒頭にかいたように、本音というなの不満を引きずっている。

仮に友人に悲しい出来事があったとしよう。
悲しみに明け暮れる友人は確かに可哀そうだ。

もちろん、心からそう思っている。
だがその先の感情には、他人には越えられないと思う。
強い共感はできるが、当事者とぴったり同じ気持ちになるのは
人間技ではかなり珍しいのではないだろうか。

その友人に久しぶりに会う機会があったとして、
先ず声を掛けるとしたら、「大丈夫?」が妥当だろう。

だがしかし、わたしは言えなかった。
なぜなら大丈夫な出来事ではなかったのだから。

そう問えば「大丈夫」とか、「大丈夫じゃない(怒)」とか、
情緒不安定な答えが返ってきて、「そっか」しか言えないのは
目に見えている。
(なんなら、悪いことをしていないのに謝罪せざるをえないレベルのときだってある)

これを読む方の大半は冷たい人間、もしくは気遣いができない人間
などと思うだろう。

だが所詮、その立場にならないと本音(心)は解らない。


共感と同情

共感するかのように、同情できる人もいる。
すごいなと思う反面、こわいなとも思う。

そういう人は、当事者にとっては「正義」になる。
そしてなにも言えない第三者の自分は「悪者」扱いだ。

よほどその人に嫌われたくないのだろう。
だから本心じゃないのに、本心に見えせかける「正義」は
時に他の人にとっては、正論の剣という武器になるのだ。

自分だって、そうなっている時もあっただろう。
だが適応障害や、うつ病を患ってからその思考はかなり減った。

レベルは違えど動けない

これがうつ病の事実だ。

「辛いんだから、わかってくれよ!!」ということを、共感してほしいとも
同情してほしいとも思ったことはない。

状況を理解するだけでいい

ただそれだけである。
「今日は布団から出られない。」「今晩はご飯作れない。」

このような状態になってしまうことを”理解”してくれれば十分だ。

そう思えたら、「なんで悲しいのに優しくしてくれないんだ」などと
少なくとも人を攻めることはしない。

ーーーーーなにも言わない優しさもある。


履き違えないように

結果、よってたかって、「夫婦の在り方」や「社会人の定義」を
説かれたかと思えば、
「辛かったね、頑張ったよ!」と、慰めをもらう始末。

あとからフォローされても火に油である。
まあ、その場は解ったふりしてしまったが。(よっぽど大人だ)

まったくもって腹立たしい。

人の状態を理解したつもりで、勝手に”過去”にしないでくれたまえ。


矛盾と感情と人とうまく付き合えるよう、
自分の直感や判断は大切にしていこう。


※ヘッダー画像はストレス発散の酒とたこやき






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