朝ドラ「はて?」で思い出す、25年前に受けた「駄洒落」の屈辱
NHKの朝ドラ『虎に翼』を毎日楽しく観ている。
昭和初期という男尊女卑まっただなかの時代に弁護士を目指す主人公の寅子を、伊藤沙莉が好演。
そんな彼女が「はて?」と言うたびに、あぁ、私が歩いてきた道のりにも「はて?」があったな・・・と思い出すようになった。
寅子が「はて?」と言うのは、女性の生きづらさを感じたときや、女性の扱われ方に疑問を感じたときだ。
現実的にはこの時代にこうした疑問を持つという発想すらない人が多かったのだろうけど、ドラマとしてこういう視点は面白いし、スッとする。
さて、私にもかつて、大いに「はて⁉」と叫びたくなる出来事があった。
あれは25年前、20代前半だった私がとある雑誌の創刊スタッフとして忙しく働いていたときのこと。時代的には、平成が始まって10年くらいの時期だ。
そこは決して大きくない出版社だったが、「世の中にこれまでなかった新しい雑誌をつくろう」と、限られた人数のスタッフみんなが意気込んでいる現場だった。
営業部などは別として、メインの編集スタッフは私を入れて6~7人。
外注スタッフにも依頼はするが、基本的には1人ひとりが1ページ1ページ、企画を立て、取材先を探してアポ入れ、自分で取材に行って記事も書き、カメラマンやデザイナーと打ち合わせもする・・・という、やりがいに満ちながらも無限とも思える仕事量を担っていた。
そんななか、新雑誌創刊に向けた決起会(飲み会)が会社全体で開催された。
会場となった居酒屋で、たまたま会社のそこそこ偉い人、H常務の隣になった私だったが、1時間ほどは仕事に関するそつのない会話をしたり、お酌(当時は当たり前)をしながら問題なく過ごしていた。
――が、ずいぶんとお酒が入った様子のH常務が、突然私にこう言ったのである。私の名前はM子とする。H常務は、たぶんこの時60代なかばだったと思う。
「M子さん、文章を書く仕事をするなら、駄洒落を勉強したほうがいいよ!」
「はぁ・・・駄洒落・・・ですか?」
「そう。僕はね、若い頃コピーライターだったんだ。コピーライティングは駄洒落が基本だから、駄洒落にはうるさいよ。そう、よかったら今度、駄洒落を10個考えて僕のところに持ってきなさい。みてあげるから」
「はぁ・・・いやいや、はははは・・・」
――何を言っているんだろうこの人は、と思ったが、そこは笑ってやり過ごす。
「じゃあテーマは『たまご』。たまごに関する駄洒落を10個。約束だからね」
「え? いやぁ、はははは・・・」
――本当に何を言ってるんだろうと思ったが、お酒も入っているし、明日には忘れているだろうと、私はまた笑ってやり過ごした。もちろん、提出する気なんてさらさらない。
――ところが。
2日ほど経った頃、社内でH常務に会った時に、言われたのである。
「M子さん、駄洒落はまだかな?」
――は? と思い「いえいえちょっと・・・時間もありませんから、なかなか・・・失礼します」
とでも答えたのだろうか。
よく覚えていないが、とにかくここからの数日間で、私はH常務と顔を合わせるたびに「駄洒落はまだかな?」と聞かれるようになったのである。
私は相変わらず、何を言ってるんだろうこの人は、と思っていた。修業させてあげるとでも言うのだろうか。
正直、休日出勤も徹夜も当たり前の状況で、目の前の仕事をこなす時間すらまったく足りていないのに、業務外の駄洒落を考えている時間なんてあるわけがない。
――ただ、この時までは私も、H常務もそのうち諦めるだろうと思っていたし、半分は「呆れたな・・・」程度の気持ちだった。
ーーところが(再び)。
さらに数日が経ったある日、私は編集部直属の上司、R部長から呼び出された。
「M子さん、H常務の駄洒落の件だけど、まだ提出していないんだって?」
――はぁ? と思い、しばし絶句。
「あのう・・・あれは、お酒の席の話ですし・・・私、H常務が本気でおっしゃっているとは思えなかったんですけど・・・」
なんとか言葉を絞り出すと、なぜか私はR部長から、やんわりとお叱りを受けた。
「いやいやM子さん、たとえお酒の席であっても、約束は約束でしょ。ちゃんと守らなきゃ。社会ってそういうものだよ」
――はぁ? 何言ってんのこの人? しかも約束してないし。
「あのぅ・・・でも創刊の仕事で手一杯で、そんな時間もないですし・・・」
と答えると、R部長は急に笑顔になり、こう言った。
「いやいや、だからね、駄洒落10個の約束でしょ? 3~4個作って、あとは『わからなかったです~教えてください』って言えば、おじさんは喜んでいろいろ教えてくれるんだから」
――はて!?
もしも私が寅子で、どこかで最大級の「はて!?」を叫んでよいとしたら、この時がそうだったと思う。
私は、怒りを通り越して、心底びっくりした。
私は、この会社の編集スタッフではないのだろうか?
未熟だが、プロのつもりで編集の知識やスキルを日々、磨いている。
会社のためにも、自分達のためにも、よい雑誌をつくろうと寝る間すら惜しんでいることを、直属の上司である、あなたが知らないわけはない。
私はたぶん、本当に口をぽかんと開けたまま数秒間、固まっていたと思う。
――そしてその瞬間、自分の成すべきことを理解した。
急いでこの人達の口をふさいで、本業に戻らなくては。
「・・・わかりました。早めに提出します」
そう言って私は静かに自分のデスクへ戻り、その瞬間から最上級の集中力を発揮、企画会議の間も、取材先へ向かっている間も、原稿を書いている間も、起きて仕事をしている間中、並行して「たまごの駄洒落」を考え続けた。
――速攻で、この厄介事を終わらせる。
彼らがぐぅの根も出ないほどの、ハイクオリティ(?)な駄洒落を考える。
あたしはおじさん達の機嫌を取るために会社に来ているわけじゃない。
・・・というわけで、強い怒りにかられた私は、すごい勢いで「たまごの駄洒落」20個を考え、プリントしてH常務に提出した。
こうなったら、倍返しだ。
(というようなことを当時も思ったはず・笑)
満面のビジネススマイルで「常務、これお願いします!」と手渡し、振り返らずに自分のデスクへ戻った。
――その「たまごの駄洒落20個」だが、どういうものを書いたのか、残念ながら覚えていない。
でも、「庭には二羽ニワトリがいる」というよくある言い回しのアレンジバージョンだけでなく、「フカフカのベッドで孵化」とか、「ひよこが巣立つよ卵away(ランナウェイ)」とか、くだらないながらも、それなりに考えたような記憶がある。「わからないから、教えてくださぁい」なんて、死んでも言わない。
――で、それからどうなったかというと・・・。
翌日、エレベーター内でH常務とばったり会った時、H常務は真剣なまなざしで私にこう言った。
「M子さん、駄洒落、すごくよかった! 君には才能がある。よかったら今度2人で一緒に駄洒落の本を出さないか?」
「はぁ・・・ありがとうございます。でも私は、仕事がありますので、これで」
あぶない、ここでの返事次第では、この先H常務と駄洒落の本を出版する未来だってあったかもしれない。ご勘弁・・・。
さて、「才能がある」と褒められてもちっとも嬉しくなかったが、このあとH常務からも、R部長からも、この話はいっさい出なくなった。さらに以降、業務以外のことで話しかけられることも、ほぼなくなった。
――それにしても、「才能がある」とは何だろう。
私はH常務に対し、喉元まで出かかった言葉がある。
「才能なんて、この会社にいる人達、みんなありますよ」
そんなことも知らなかったんですか? と思ったが、もちろん言わない。
この業界は大半が企画なり、文章なり、デザインなりの才能の持ち主だ。音大の学生に向かって「音感があるね」と褒めているのと同じ。肝心なのはその先で、どれだけもがくかでモノになるかが決まるのに。
ほんの少しの才能では到底足りないから私、いま死ぬ気でもがいてるんです、見た目はただの若いお姉ちゃんに見えるでしょうが、あなた達が思っているよりずっと、職業人としての意地もプライドもあるんですよ。
ーーと、心の中で叫んだ。
この出来事は、今でもなぜか時折思い出す。
この会社を辞めてからも仕事で屈辱的なことはたくさんあった。
大失敗も大恥も、パワハラ・セクハラ的な言動も受けてきたけれど、その大半は忘れてしまったか、あんなこともあったな程度の記憶になっている。
――なのにこの駄洒落事件は、いまだに腹立たしい。たぶんそれは半強制的に駄洒落を考えさせられたことに対する怒りではない。
「プロの編集スタッフである前に、女の子」として扱われたことが、死ぬほど悔しかった。傷ついたのだ。
――はて、
「よい雑誌を作るために忙しい」という私の本気の主張は、「おじさま達のご機嫌をとる」ことと同等かそれ以下に扱われたのかしら?
寅子ならどう言うだろう。
――懐かしくも、苦い、20代の思い出だ。
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