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「よかれと思って」を振りかざすあの人は宇宙人?

エッセイや小説に時折登場する「よかれと思って星人」。
よかれと思って、あなたのために、を枕詞に筆者(主人公)を無神経に追い込んだり痛みを負わせる彼らは「悪者」だ。たとえ婉曲に表現されていても、「こちらを理解してくれないし寄り添ってもくれない敵」として描かれる。

彼らの理不尽さや、自己の正当性を示したいがためだけなのに、恩着せがましく他者をコントロールしようとする言動。私は文字をなぞっているだけなのに、そこから立ちのぼる情景を想像すると、口角を下げざるを得なくなる。
何なのこの人たちは言葉が通じない、人の心がわからん宇宙人なの?

彼らは宇宙人なの?

人によっては、彼らは正真正銘の「宇宙人」かもしれないけれど、私にとっては宇宙人ではないかもしれない。彼らを宇宙人たらしめているものが一体何なのか考えてみると、自分の中にも近しいものがあると思えてきた。

自分の規範を逸脱する人を、ずるいと思ってしまう心理。自分が頑張ってきた、耐え忍んできたこれまでの歩みを否定される恐ろしさ。
「私はこんなにガマンしてきたのに、ガマンしない道があるなんておかしい。私のガマンが無意味なものになってしまう。そんなの許さない」
「ガマン」を握りしめている。

「マイルールに反する人」をトリガーとして、そういう押し込めてきたしんどさが噴出し「よかれと思って星人」が現れる。
人の愚痴や悩みにかぶせて、私なんてさ〜、俺なんてさ〜、と被せてしまう不幸自慢現象も同じ原理な気がする。

よかれと思って星人のしんどさのモトも、他の誰かによる規範の押し付けで肥大化してしまった経緯がありそう。悲しいリレーだなと思う。

しんどさのモト、私の中にもある。自分に余裕がないとき、相手の話を正面から聞けていなかったりする。「そんなん言ったら私だって」と口から出そうになることもある。

その星の人が顔を覗かせてきたら。
どんなルールで自分を縛っているんだろ?
俯瞰できる自分をすぐに呼び出せるようにしたい。

そもそも、日々「いらんガマン」をしていないか?つど自分の声に耳を傾けたい。
なんかしんどいなーとか、ちょっとイラッときたなーとか、漠然とした違和感とか。そういう感覚って何かしらのサインだなと。

自分の率直な気持ちを蔑ろにせず、拾っていこ。
そうして、人の気持ちや状況に、まずは「そうなんや」「そうだね」とフラットにシンプルに相槌を打てる自分でありたいな、と思った。

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