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変わっていく人々、変わらない公園

子供の頃のことって、意外と結構覚えている。

家のカーペットでゴロゴロしていたときに目に映っていたテーブルの足や座布団。お気に入りのペンギンのぬいぐるみに、なぜか手袋を着せてタコっぽいルックスにしていたこと。疎遠になって久しい、一緒に遊んでいた友達。

その場所に行くと、蘇ってくる記憶もある。

きょう、昔よく遊んでいた公園へ夫と息子と行ってみた。当時はとてつもなく大きく見えた遊具、砂場、ブランコ。あの子と鬼ごっこをしたな、シロツメクサで花冠を作ったな。一気にいろんなことが思い出された。

それから20年以上経って、子供をベビーカーに乗せてそこを散歩している状況がなんとも不思議だった。

フェンスで囲まれた運動場、グレーのタイル壁の公衆トイレ、ベンチ、水路。それらは全然変わらずそこにあるのに、記憶の中のあの子やあの子は、もうここにはいない。記憶の中の私自身だって、もういない。

私たちと同じようにベビーカーを押している人たちも、かつては子供だった。ベビーカーの中の赤ちゃんも、いつかは大人になる。

時間は流れて、人は変わっていく。そこに例外はないと思う。

「今」には終わりが来ない。どこかでそう思っているから、目の前の現実と記憶のズレが不思議に感じられるんだろうか。

でも、「今」は刻々と終わっていく。流れていく。
息子は赤ちゃんじゃなくなって、子供になって、子供じゃなくなって、大人になっていく。

いつか息子も、子供の頃のことって結構覚えているな、とか思うんだろうか。

息子が将来思い出す「昔のこと」が、大事にしたくなるもの、つぶさに思い出したくなるものであればいいなと思う。

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