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「偏見」とは?雑談における壁を感じた話

先日、外資系の大手有名企業で管理職をしている知人と話す機会があり、仕事どう?業務内容って具体的にどんな感じなの?と聞いたところ、

「人間関係の調整と、自分自身も含めた偏見との闘い」
との、答えが返ってきた。

思ってたのと違う。外資系ってもっと実力主義で個人プレーで仕事をこなしていくんだと思っていた。

「社内で人と対話を重ねるうちに、自分自身も無意識に多くの偏見にとらわれていることに気づいた」と、彼女は続けたが、私の頭の中にはハテ?と疑問が浮かんでいた。

私も年代的には彼女とほぼ同年代。外資ではない、かなり日本的な風習のある職場に勤めているため、それこそどの業務も、重要なのは人間関係の調整だったりする(企画を通すための根回しとか、うまく話を運びやすい人を選ぶ、とか)。だが、その人間関係の中で彼女のように「偏見と闘っている」意識はあまりなかった。

あ、外資系だから、いろんな国籍の人がいるのかな。
人種による偏見とかそういう事?
それが、そういうことでもないらしい。

それ以上具体例を聞くのも、関係性やその時の会話していた環境を考えると聞きにくく、その話はそこで終わってしまった。

でもそれからというものの「偏見」というキーワードは気になる存在として心に引っかかっていた。

それがこの後、友人や職場の同僚との雑談にこんなに関与してくるとは思ってもみなかったのだが- (はい、本題です)

私はここ最近某ラジオのお悩み相談コーナーにはまり、そればっかり過去の放送分も振り返って聞くのが日課となっていた。

元々人の話を聞くのが好きなので、人の悩みやそれに対して回答者であるパーソナリティーがどう考えるのかを聞くのが、友人と雑談をしているようで楽しかったのだが、

色々聞いているうちに、「ん?それ違うんじゃない?」「えー、この文面からはそんな風には全然感じないけど…」ということももちろん出てくるわけで。そんな時、「偏見」という言葉が頭をかすめたのである。

偏見。偏ったものの見方。独りよがりの見解。思い込み。決めつけ。

あれ、この人の意見が私から見て偏見だとするなら、それに対する私の意見もあちらから見ると偏見では?

でも、そんなこと言ったらそもそも「個人的意見」というものはそれ自体が、個人的で=客観性を欠いていて、特定の立場からの判断になりやすい性質を持っているものだし、

この場合はラジオという公共性の高い場で「個人的意見・見解」を述べなければいけないから難しいところだけど、このパーソナリティさんに求められているものは、中立的な無難な答えなどではなく「この人の立場から、この人の言葉で向き合うこと」なのだから、これはこれで正解で…

あれ、でもそんなこと言ったら、私この間友人とお茶したとき、
「ラジオの相談コーナーで若い女性が『マッチングアプリで出会った男性に好意を持っているが、休みが合わないので交際をあきらめようと思う』って相談してたんだけど、そんなに最初からいろいろ条件出してたら大変だよね~」って発言をしたな。

あれ、隣の席にいた若い女性はどう思って聞いてたんだろう。
「あー、アラフォーが20代の恋愛事情も知らずに決めつけてるわ」
とか思われてたんだろうか。
だとすれば、私の偏見によって誰かに嫌な思いをさせたことになる。

この年齢になってやっと、いろんな考え方の人がいる事、その人の性格や立ち位置、環境によって答えは一つじゃないことが経験として実感をもってわかってきていたはずなのに。なんてこった…。

え、でも冷静に考えると、気の置けない友人との会話って、そういう個人的な意見を言っても受け止めてくれて、時に「それは違うんじゃない」と諭してくれたり、違う角度からの意見をくれたり…っていうのが醍醐味だよね?

でも、周りに人が全然いないところでばっかり話せるわけじゃないし。

100歩譲って、友人との会話は友人の器の大きさに甘えさせてもらうにしても、職場の同僚との会話は?毎回こんな気を使って話さなければいけないわけ?

アラフォーの責任ある立場・年齢での、公共の場での雑談、難しいわー…。

アラフォーの皆さん、どうしてますか?

#多様性を考える
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