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ねえ、なんのために生きてるの?

 大抵の人は、特に生きてる意味なんてないと思うし、あったとしてもこじつけでしかないと思います。
 お前がいないと世界が成立しない、なんて状況、そうそうありませんしね。

 例え、総理大臣や大統領がいなくなっても、代わりなんていくらでもいます。もう一度選挙をして、別の人をその椅子に座らせればいいだけ。
 大企業の社長がいなくなっても問題はない。現に、Apple社の元CEOスティーブ・ジョブズ氏が亡くなっても、Apple社は存続していますよね。

 人の命なんて、価値なんて、与えられている意味なんて、たかだかそんなもんなんですよ。

 どうして、そんなもののために生きようと思うんですか?

永遠に続くもの

 私の人生は、裏切りと失敗と挫折の連続です。
 基本的に、上手くいったことはありません。あったとしても、ほんの一瞬、良い夢が見られていた程度のもの。上手く行ったり行かなかったりの繰り返しで、維持できていれば良い方です。維持することさえも難しく、どんどん悪い方へ落ちていく。

 私の両親は、私が10歳の時に離婚しました。二分の一成人式の時期ですね。
 どんな大人になりたいですか?と問われ、自分の10年を振り返るような時期に、私の家族はゆっくり壊れ、崩れ、原型がなくなりました。
 夫婦や家族が永遠ではないことを思い知らされたわけですね。素敵で残酷で美しい現実です。

 母に引き取られたのですが、当時の母は重いうつ病を患っていたため、祖父母の支援が必要だと、引っ越しすることになりました。だいぶ距離のある引っ越しです。
 私は人生で初めて、転校しました。当たり前のように、6年生まで通って友達と卒業して、柵の外から見たことのある地元の中学に行って、また3年間、同じような友達と過ごすものだと思っていました。全てに裏切られました。転校生って、側から見れば、一時的に人気者でなんかいいなぁなんて漠然と思っていましたが、現実は悲惨なものですよね。友達と離れ離れ、人間関係は一から構築し直しどころか、既にコミュニティの完成しつつある空間に放り込まれるわけです。弱くてニューゲーム。でも、崩壊した家庭から逃れて、私たち兄弟が今日を食い繋ぐためには、それしかなかったんだから。
 当たり前に続く日常なんてものはあり得ないんだなって。生まれてから進学や就職で家を出るまで、同じ家族(弟・妹が増えるのは別として)、同じ家、同じ学校、飽き飽きするような毎日が、実はとても幸せなことだったんだって、失って初めてわかりました。

 …失って?
 初めから持ってもいないのに、何を言ってるんですかね、私は。

 永遠に続くものなんてない。
 そう言いたいところですが、私はたったひとつ、永遠に続くものがあると思っています。

 失った後の、虚しさです。
 どう足掻いても埋まらないピース。一生癒えない心の傷。
 これだけは、永遠に続くんだよ。

要らないよ

 そんなもの、私も欲しくなかった。

 小学生の頃に通っていた絵画造形教室、6年生の終わりまで通い続けると思っていたし、小学4年生から始めた管楽部では先輩に憧れていた。きっと中学生になったら、美術部か吹奏楽部に入ると思っていた。
 近くの高校に進学して、できれば友達と一緒がいいなとか思ってて。
 その先は、少なくとも大学までは行って何かを勉強して、できれば院まで行って、もっとたくさんのこと勉強したかった。
 卒業したら、立派に社会で働く人になりたかった。たくさん勉強して、いい会社に入って、かっこいい大人になれると思ってた。少なくとも、それなりの普通のよくある社会人の人くらいならなれると思ってた。
 そのうち好きな人ができて、結婚して、子どもができて、家を持って。仕事をどうするかはわからないけど、いくつになっても子どもと外を駆け回りたいなんて、夢を見てた。

 なれると思ってた、私なら。
 もういいよ、全部全部。どうでもいい。要らないよ。

倫理的に考えて

 自殺って、人を不幸にするとか、恩知らずとか、他人に迷惑とか、そういう倫理的・道徳的な理由から、”よくないこと”として否定されますよね。

 じゃあ聞きたいんですけど、私の生きてきた道のどこに、倫理観や道徳観があったんですか?
 死にたいのはお前のせいだと私を責める前に、お前死にたくなったのはあいつらのせいだと、私を傷つけた奴らを責めてくれ。

 私は安堵が欲しい。何を信じれば手に入る?
 神も仏も不干渉を貫くこの世界で、何に縋ればいいんだ。

 ここは地獄ではないから、蜘蛛の糸なんて垂れてこないし、ここは天国ではないから、極楽浄土の地もない。
 黄泉ではないから、殿方が救いに来るわけではないし、神話の世界だって姫は助からなかった。

みんな勝手、私も勝手

 私は別に、望んで生まれてきたわけではない。誰だってそれは同じ。
 でも少なくとも、男女が交わるその一瞬だけは、望まれていたはずなんだって思う。

 何が言いたいかって要するに、私の存在を望んだのは、私自身ではなく、私を産んだ両親でしょう。だったら、責任持って面倒見ろよって。
 面倒が見切れないのなら、責任持って、正しい方法で責任を放棄しろ。親自身にとって幸せな選択ではなく、子ども自身にとって幸せな選択をしろ。

 どうして親のツケを、子が払わなくちゃいけないんだ。
 お前ら大人の都合に、子どもの人生を巻き込んで、引っ掻き回してめちゃくちゃにしてぶち壊して、大人になったから手を離します、成人おめでとう!って何それ。気持ち悪い。

 私は勝手でわがままだから、私の両親に対して、お前たちは勝手だ、お前たちの身勝手で私は散々傷ついた、私がこうなったのはほぼほぼお前らのせいだ、ここまで頑張って育ったのは私だ、お前らに対する感謝なんてこれっぽっちもねぇよ!って、思っています。

 みんな、自分の幸せしか考えていないんだ。
 父は勝手気ままに自営業してるし、母は子ども達のためとか、自分の老後のためとかそれっぽい口実をつけて、通信制の大学へ通ってる。
 確かにすごいよ、2人とも。やりたいことやって、それを貫いて、どうにかやり遂げてるから。母に関しては、一人で3人も育ててるから、本当にすごいよ。
 だからって、私がこんな思いをしてもいい理由にはならない。誰かが傷つくのが、別の誰かにとっての幸せだなんて現実、あっていいはずがないでしょ。

 こういう気持ちを伝えたら、母に、「そんな立派なこと言うなら、勝手に幸せになって、私と縁を切ったら?」って言われた。

 ねぇ、私は一体、何のために生きてるの?

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