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隅っこで一人遊んでいた子が、クラスの真ん中でリーダーシップを発揮するまでの4年間の記録

長女を育ててはや4年。
彼女を今一言で表すのであれば「天真爛漫」そのもの
喜怒哀楽を表に出せて、よくお話しするちょっぴりおませなプリンセスガールが今の彼女です。

ただ、彼女は圧倒的後天的ポジティブガールです。
遡ること約2年前。全く別人の彼女がそこには存在していました。

このnoteは、長女が春にお姉さんになるという一つの節目を迎えるため、その前に成長の記録としてどこかに残したいという私の超絶自己満によるもの、という前提のもとお読みいただけますと幸いです…!

一人クラスの隅っ子で遊ぶ我が子

2年前に遡りましょう。

クラスの輪に入らず一人隅っこで遊び、お友達がやっている遊びを遠くから羨ましくみている、うまく自分の気持ちを出せずに友達に手を出してしまうことが多い、朝はほぼ毎日泣いて別れられないなどなど…(まあ挙げればキリがない…)

これは実際の当時の娘のようです。本当に私の子なのか・・・・!?と、今からは考えられないほど内向的な性格でした。

運動会も最後まで一人スタートダッシュできず、先生に迎えにきてもらうのを待っていたなんて姿もありましたね…。とほほ。。

そんな姿は、毎日先生から渡される連絡帳のみならず、参観日や保育園の録画ビデオで目の当たりにもし、その時受けた衝撃は今でも忘れられません(笑)そんな姿を見て、「彼女は毎日楽しく幸せに過ごせているのだろうか」とふと考えて、参観日の帰りに人知れず涙を流したことを覚えています。

母親の私は超楽観主義者ですが、さすがに上記のことは非常に心配でした。

このままで本当にいいのだろうか

そんな日が続き、次第に「娘は今の環境のままで過ごして本当にいいのだろうか」そんな気持ちが生まれてきました。そして何かを変えないといけない、その気持ちに突き動かされて、夫と度重なる話し合いを重ね、以下のことを決めました。

①脱転勤族🏠

当時我が家は夫が転勤族のため、娘2歳時点で保育園は2園目という状況でした。少なからず転園後それで環境に馴染めないが故に、そういった娘にさせてしまったという申し訳なさが私の中にはありました。
今後転勤族であり続ければ、その度に娘はゼロから新たな環境に身を置かなければならず、それは娘にとってマイナスなことではないか。親の都合に振り回されて、保育園に馴染めず端っこで遊んでいる、なんてそれは少し親としては辛いと思い、これをまずはなんとかしようと考えました。

ということで、まずは夫に転職をしてもらい、少なくとも数年間腰を据えて住むに適した場所を選び、移住をすることに。なかなか壮大なプロジェクトですが、これは子供だけではなく家族にとってもプラスになることが多いと思いましたので、即実行に移しました。

②自分の転職

夫の転職、そして移住後、私も転職しました。
自分のキャリアを見つめ直すタイミングであったというのもありつつ、子供に時間を割ける仕事環境を整えたいと思ったのが大きな理由です。というのもこれまで彼女が情緒不安定になる際には、決まってある法則がありました。それは私の仕事の繁忙期でした。
仕事が忙しい時には、朝早くから保育園に預け、帰りも延長保育で夜ご飯を園に頼むというケースも多々あり、1日2時間くらいしか娘とコミュニケーションを取らないという日も決して少なくはありませんでした。その状況は娘にとってとてもハッピーではない環境で、また私も同じくストレスを感じつつ仕事と育児をする毎日でした。
ですので、転職を機にフルフレックス・フルリモートを手に入れて、なるべく子育てにも時間を割ける環境を手に入れようと決意していました。

③幼稚園への切り替え

「ワーママが幼稚園入園って大丈夫なの?」
当時周囲からは何人もの人に心配されました。私自身も不安がなかったわけではありませんが、まず前提としてこれが実現できたのはひとえにフルフレックス・フルリモートの環境がある会社のおかげだと思っています。

ではなぜ、そこまでして幼稚園に切り替えたか

理由はシンプルで、子供と過ごす時間を強制的に増やすことができるからです。

幼稚園は保育園のような長時間の延長保育(夜ご飯食べさせてくれるなど)は難しいところが多く、通常保育であれば夕方には帰宅します。そうすることでそれまでに、あるいは一度そこで仕事を終えて娘と向き合う時間をある種強制的に作ることができると考えたのです。

まさに頭を鈍器で殴られたような衝撃でした

そんなこんなで移住、転職、幼稚園の入園、激動の春を終えて、無事?新しい生活がスタートしました。

入園当日、見慣れない瀟洒な校舎、自分の体よりも大きい制服に娘の警戒心も10000%といった感じ。そんな娘をクラスに連れていくと、一人の女の子が「お名前教えて?」と駆け寄ってきました。

私は衝撃を受けました。娘と同じ年齢の子がこんな声かけをお友達にできるなんて…!驚いたのは隣にいた娘も同じで、なんだか訳がわからないうちにその女の子に手を引かれて教室に入っていき、その日は事なきを得ました。よくわからないですが「これが幼稚園なのか…」とよくわからない稚拙な感想を抱いて帰宅したことを今でも覚えています。(笑)

それから数日様子を見ていました。「いつ幼稚園なんて行きたくない!と言い出すんだろうなあ…」と内心ヒヤヒヤしていたんです。

ただその日はいつになってもきませんでした。

以前は、あんなに別れ難く泣いていた娘が嘘のように、一人でバス停からバスに乗って幼稚園に行ってるわけです。数時間後、ニコニコとバスから降りてきて帰ってきて、何やら覚えてきた歌や書いてきた絵を見せて私に楽しそうに話してくれるんです。「◯◯ちゃんていう子とお友達になったよ!」なんて新しいお友達もたくさん作ってくるんです。

これは決して大袈裟ではなく、頭を鈍器で殴られたような衝撃でした。

一体以前の娘はどこへ行ってしまったのか。みるみるうちに、娘の様子は変わっていきました。そして半年経つ頃には、背も大きく言葉も達者な方であった娘は、担任の先生に「クラスの姉御的存在」と言わしめるまでに…!

そこにはもう以前のようなクラスの端で一人遊び、輪に入れず涙を呑む娘の存在はありませんでした。

置かれた場所で咲くことができないこともある

置かれた場所で咲きなさい

この言葉は私自身、成長過程でこの言葉をよく周囲から言われていて、割と好きな言葉ではありました。ですが、必ずしもそうではないということをこの一件で学びました。

娘は1年間で大きな変貌を遂げました。そこにはもちろん娘の精神的な成長もありましたし、様々な要素が重なってその結果を生み出したと思います。

ただ間違いなく言えることは、環境による影響は非常に大きかったということです。もちろん入園時に、その幼稚園が娘にぴったり合うという確証はなかったので、ある種賭けではありました。実際身を置いてみないとわからないことがほとんどだと思うので、今回たまたまそういった環境に出会えたことは本当に運命の巡り合わせであり、とても幸運なことだったと思います。

この一件で今回娘が私に教えてくれた大切なことは、人には置かれた場所で花を咲かせられないこともあるということ。そして、その時は悲観せず適切な対処をすればいいということ。

こうした幼少期に自分に合った環境で自分の花を咲かせることができた経験があってこそ、初めてこの先の未来置かれた環境で自分の花を咲かせることができるようになるのだと思います。

そういった意味では、幼少期にその環境選びを一緒にしてあげる親の役割は改めて大きいと実感しました

隅っこで遊んでいたあの子は、今では活発天真爛漫ガールに大変身

娘は当時プレで入園しましたので、現在は4歳で年少として同じ幼稚園に通っています。今では、クラスのよく言えばリーダー、見方を変えると少々ジャイアン味のある娘(笑)になり、本当に活発で天真爛漫、自分のことを自分で大好きと言える娘に成長を遂げました。自分に自信がついてきたぶん、いろいろなことを自分からやってみたいと言うようになりましたし、さまざまなことに興味を持てるようになってきました。

私はというと、お陰様で、幼稚園の延長保育や長期休暇保育を駆使して、仕事もフルタイムで続けることができ、娘にしっかりと向き合う時間を確保できています。娘の変化にも気がつける余裕ができましたし、何より一緒に話す時間が以前と比べて格段に増えました。また、仕事の合間に習い事の送り迎えまでできるようになったので、娘のやりたいにもある程度付き合ってあげられるようになりました。(私の精神衛生にも非常に良い)


というのが娘の4年間の成長でした。

子供は、さまざまな景色を私たち親に見せてくれます。それは時にスリリングだけれど、やっぱり最高にエキサイティングで。これからも娘の成長とともに、自分も人間として成長していきたい、そんな展望も込めて終わりとします。

そして春にお姉ちゃんになるので、更なる娘の成長変化にワクワクしております!

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