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「わかりやすい」はベスト?
受けてから求められる「わかりやすい」
教育者であれば、「わかりやすい」を顧客・子どもから求められないことはないだろう。
学校の教師でも、「○○先生はわかりやすい、わかりにくい」などと子どもからの評価項目になるし、大学時代バイトをしていた塾講師では生徒から講師に対する評価項目の重要な1つとして、「授業がわかりやすいか」というものがあった。
スポーツのコーチもわかりやすい説明、コーチングが求められていることはとても実感するし、わかりやすくしなければ、と思ってしまうこともある。
「わかりやすい」とは?
「わかりやすい」という言葉はありとあらゆるところで使われているが、その意味について深めたい。
分かるが容易いという意味ではあるが、辞書の定義では、「理解することが簡単である。理解するのに煩雑さや複雑さがない。」となっている。
英語ではunderstandableとなるだろうか。
顧客、子どもから求められる「わかりやすい」についても、私の感覚ではこの定義通りであり、
大袈裟に言うと、「思考努力をしなくても、簡単に理解できる(している風)になること」
であり、3年ほど前から「わかりやすい」が本当に良いことなのか、モヤモヤしていた🤔…
「わかりやすい」の弊害
求められている「わかりやすい」とは具体的にどのようなものだろう。
塾講師、教育業界であれば、本質的なことを教える(2次方程式の解の導出の考え)よりも、最強の楽ちんアイテム(解の公式)を教えてくれる方が、「わかりやすい」と感じられてしまう。
コーチングでは、抽象性の高いもの(原理原則的なコーチング)よりも、具体性の高いもの(小手先のスキルや、全てが数値化されているもの)を求められるものである。
例)シューティングの指導をするときに、
・抽象性の高いコーチング
→身体をバネのように使い、手でリングに蓋をするように打ちましょう
→相手を崩したショットを打ちましょう
・具体性の高いコーチング
→脚の角度、膝の曲げる角度、指の方向、どこでボールを離すか…
→インサイドにボールを入れて、パスアウトしてシュートを打ちましょう
「わかりやすく」具体的であることは、大事なことでもあるし、抽象的過ぎてもうまくいかない。
しかし、彼らが求めるような、「わかりやすい」具体性に振り切った教育、コーチングは何が問題だろうか…?
それは、全てを「わかりやすい」網羅された教えができない場合、物事の複雑な部分が全てなくなってしまうことである。
数学であれば、数字は無限にあり、バスケットも相手という変数が存在する。
その変数を固定値にした場合、「わかりやすい」は最強となるが、変数である以上、それは相手の範囲、可能性を極めて狭めてしまうことになってしまう。
これが「わかりやすい」の弊害である。
とても興味深い記事があったので共有したい。
自分自身のコーチングを振り返ると、どうしても「わかりやすい」具体的な方向にベクトルが進んでしまいがちだと反省している…🙃