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連載『アラビア語RTA』#5


エジプト留学中の冬休み、1ヶ月間全くやることがなかった。この機会を使って、アラビア語の勉強をすることにした。雨の降り頻る冬のアレクサンドリアにて未知の言語にこれまで得てきた知識を使って立ち向かい、そして敗れた1ヶ月間の記録。

#1はこちら


2022年12月29日
今日は木曜日。木曜日ということは週の終わりである。エジプトはイスラム教の影響で金曜日と土曜日は学校が休みになる。という訳で華の木曜日。何となくウキウキしながら普段より早く起きたため、例のカフェに向かいアラビア語の復習を始めた。先生に、習った男性名詞と女性名詞を覚えてこいと言われたので覚えた。

単語を暗記するときにいつも取る方法がある。英語と中国語の単語を暗記するときは基本的にi know というアプリを使っている。このアプリのいいところはあらかじめ単語がレベル別に分かれているのと、自動で忘れた頃に復習できるところである。基本的にはフラッシュカードで単語の意味やスペルを答えたり、音声が流れ選択肢から正しいものを選んだり、いくつかの形式がある。紙の単語帳を使うと覚えた単語も復習してしまいロスが多いのと、逆に覚えにくい単語に遭遇する回数が減ってしまう。このアプリを使うとそれを防ぐことができる。

しかし基本的には英語と中国語にしか対応していないので、インドネシア語を学習し始めた際に別のアプリを探した。そうして見つけたのが、Ankiという有名なアプリだ。覚えたいものを自分で登録しなければならないのが手間だが、それさえ乗り越えれば使い勝手が良く、基本的には忘れた頃に復習できるので記憶の定着が早い。

今回のアラビア語学習でもこれにお世話になる。スマホにアラビア語のキーボードを入れて、アラビア語で覚えたい単語を登録していく。これがかなり難しい。初日にも思ったが、単語のどこからどこまでが一つの文字か見分けるのに苦労する。苦労はするが、それ自体がいい練習になる。

一通り登録を終えるとフラッシュカードのようになているアプリに、とにかく何度も答えを打ち込む。授業の時間までこれを繰り返し行った。時間になるといつもより早く教室に向かった。

授業の冒頭に先生は教室にあるいろいろなものを指差して「エ・ダ?」(これは何)と聞いてきたので、練習した通りに答えた。ノートをアラビア語でなんというのか忘れたがそれ以外は概ね言うことができた。

一通りテストが終わると、今度は曜日を暗記することになった。大体は数字と関連しているのだが、金曜日はイスラム教における祈りの日であるためアラビア語の「祈り」という言葉に関連した曜日の名前になっていた。この発音がどうしても「エル・グンマー」にしか聞こえなかった。群馬って祈りの県だったのか(違う)。

アラビア語の曜日は中国語と似ている。中国語では月曜日が星期一,火曜日が星期二,水曜日が星期三であり、土曜日までがこの規則に従う。そして日曜日だけ星期日と呼ばれている。ただ、イスラム教では1週間のうち金曜日が礼拝で土曜日は休みなので学校は日曜日から始まる。

言語はコミュニケーションのツールだから通じればO.Kというような言説に根本から根本から反発している人間としてはこのような言語の文化的側面に触れるのが面白くてたまらない。コミュニケーションのツールであるというのは多面的な言語というもののたった一側面にしかすぎない。むしろ、言語とは世界の切り分け方であり世界そのものを形作っているものである。先ほど挙げた例などを見ると、日本では自明であり意識することもない曜日がとたんに恣意的に決定されたものだということを感じることができる。

私は自分の住んでいる世界とは違う論理で動く世界があり、そこにも生活があり人生があるということを知ると安心する。たとえ一つの社会でうまくいかなかったとしても、それは数ある場所のうちの一つで自分がうまく生きられなかっただけで、別の場所ではまた違うかもしれないという希望が持てるからだ。もちろんこれは古典的なオリエンタリズムを孕んでいるのだけど。

曜日の次は数字を覚えた。次は数字を勉強すると聞いて、たいそう喜んだ。これまで途切れ途切れで覚えていた数字がやっとわかるようになる。メニューを読むのに今まではアラビア語の数字で書かれた腕時計を使って解読していたのでその手間が省けるようになる。

この日は50までの数字を習った。正確には10までの数字と10の倍数の数字のみを習った。これで少なくとも簡単な注文ならできるようになるはずだ。また同一のものを(たとえばサンドイッチなど)複数欲しい時などにも使える。こんなにも素晴らしいことはない。

授業はこれにて終了した。語学学校では毎週生徒が入れ替わる。今日は週の終わりであるため、今週のメンバーでカフェに行くことになった。面白いのはこのような場合に絶対にアルコールを飲まないことである。公共の場所で飲酒をすることは厳しく制限されており、それは飲食店でも例外ではない。たまに外国人向けの高級レストランや、街角でひっそりと営業しているようなバーでお酒を見かけるがそれ以外、店で飲むことはできない。

それまで他の生徒との交流がなかったため、私も参加することにした。いつものオールドストリートカフェに集まったのは先生3人とスウェーデン人の生徒2人、中国人の生徒1人とフランス人の生徒2人だった。話の内容はほとんど忘れたが、唯一、

「カイロからアレクサンドリア行きの列車の値段が外国人価格が新設されて驚異的に上がった。ついにエジプトでは政府すらぼったくるようになったのか」

という話をして盛り上がったのを覚えている。

あとは中国人の女性とちょっとだけ中国語を話したりしたが特筆すべきようなことはない。私はしばらくしてその会を抜けた。

その頃にはすっかり外は暗くなっていた。私は腹が減っていたので、前日のレストランに向かいリベンジすることにした。今日の授業で注文の仕方を何度か練習させてもらったのだ。

食べるものはもうすでに決めていた。前日注文したが食べることができなかったコシャリを食べようと思う。しかし流石に今回は店内で食べる勇気がなかったのでテイクアウトのコーナーに向かった。外から注意深く観察した結果によると、持ち帰りの場合は先に外にあるレジで会計してから、そのレシートを係員に渡して受け取るというシステムになっているようだ。

スキンヘッドでメガネをかけた男性がレジ打ちをしていたので、決死の覚悟で話しかけた。

「アナ・アイズ・ワヘド・コシャリ・レバー」(私・欲しい・一つ・コシャリ・レバー)

と血走った目で言った。レバーが乗っかっているコシャリはあまり見たことがなかったのでそれを食べてみたかった。サイズはどうやって指定していいかわからなかったので、事前にGoogle翻訳で値段を調べておき、欲しいサイズのコシャリの値段を把握しておいた。すると30ギニーだということがわかったので、どのサイズ?と聞かれた時にすかさず

「タラティーン(30)ギニー、サ!?」(30ギニー、だよね???)

とこれまた血走った目で言った。サ?(実際には”さ”という音の後に犬がハアハアいう時のようなhの音が追加されている。つまり、サhのような音)という言葉の意味はよくわかっていなかったが、みんなよく文末につけていたので、中国語の語気助詞のようなものだと捉えて使ってみた。あとは勢いに任せて注文した。

無事に伝え終わったようでレシートを受け取る。どこで待てばいいかわからなかったので、

「ヘナ?」「Wait?」(ここで待つ?)

と聞いたら、コシャリをよそっている店員さんの方を指さされ、そこで待ってろと言われた気がした。一分間待った。前日のことがあるため、その1分は永遠のように感じられた。またコシャリを手に入れることができないのではないのかとも思った。もうレシートを店員さんに渡してしまっているので、自分がコシャリを購入したことを証明するものはもう何もない。

不安は、無事にコシャリを手渡されたことで解消された。前日からのもやもやも同時に晴れたような気がした。

ホテルにそのコシャリを丁寧に持ち帰り、うやうやしく天に掲げてからその味を噛み締めた。

続き



編集後記
レストランで注文しただけで大袈裟であると思う人もいるのではないか。正直一年近く前に自分が書いたものを読み返して私も同じように思う。注文くらいサッとできるようにならないのかと。

だが、全く知らない外国語で注文をこなすハードルは意外に高い。自分の意志を伝えられたとしても相手が何を言っているのか理解しなければ、注文は成立しない。砂糖は必要か、袋は必要か、辛さはどうするか、どのサイズにするかなど、聞き取れなければいけない要素は多く、道のりはそんなに長くはないがそれでも短くない。

私は先日台湾に滞在していた。そこでは当然中国語で注文するわけだが、2年間勉強していても、中国語での注文は難しかった。まずメニューは理解はできるが発音できないことも多く、声に出すことにハードルがある。また元来の人見知りであるためハキハキ喋るのが苦手なのだが、そうすると中国語は伝わらない。自信をもって気合と根性で喋れば、なぜか発音や文法を超えて伝わることすらある。

2年勉強していても注文を躊躇い、そのために記入式のメニューをわざわざ探して店に入ることもあった。ましてや勉強したことのない言語で覚えたての表現を使って頼むのは少し難しい。そんな目線を持って暖かい目線で読んでいただけると嬉しい。


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