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#不器用な彼らは、今日もおいしい寄り道をする|ep1:夕暮れフィナンシェ

なんとなくいつもより職場の居心地が悪くて、身も心も気を張っている状態が続いている。

仕事の内容上激務になることはないが、そのぶん人間関係が大きく反映される自分の職場では、異動してきたスタッフによってわずかに嫌な変化が起きていた。


自分が歳を重ねて気づいたことは、気が回らない人が得意ではないということ。相手との適切な距離感、会話への配慮。大人になればある意味自分の身を守るために身につけるとものだと思っていたその技術は、誰もが持っているわけではないらしい。

新しく入ってきた人がまさにその典型的なタイプだった。


いつもなら1日の終わりに自分を癒すための趣味の時間も、座る気力なく床に寝転んで惰性でスマホを見るのが限界。大好きな食事も作る気力がなく外で買ってきたものが続いていた。


味気がない、冷たい、喉を通りにくい。企業努力によりおいしいはずの食事も精神状態が悪い時に食べるとなんだか何を食べているのかわからなくなる。

やっと週末を迎えた頃には、部屋には空のペットボトルが数本転がり、洗った洗濯物がしまわれずに置かれていた。






いつもより遅く起きた土曜日の朝。流れているテレビ番組を適当に見て、溜まっていた家事を片付け、電池が切れたように少し休む。お昼は買い置きしていた冷凍食品に手をつけ、夕方には思い腰を上げ久しぶりに近所のスーパーに行った。


週末ということもあって店内は混雑している。
魚、お肉、野菜。情報量の多い店内。
疲れているのか、冴え切らないぼーっとした頭で考える。今の自分は何が食べたいんだろう。



パッと思いつくものはないけど、なんだか胃に優しいものが食べたい。でも普通のおかゆじゃ物足りないから、中華粥とかお肉の入った湯豆腐とか、そうそう、某定食チェーンのメニューにありそうなものを欲している。


前に作った土鍋でとろとろに煮込まれた中華粥おいしかったなあ。

食欲のない日でも土鍋で作ったくたくたのお野菜と湯豆腐は楽に食べれたっけ。




誰の目も、機嫌も、気にしなくていい久しぶりの休日。なんだか自分に優しくしたくなった。




結局しばらく買い物に来なくても大丈夫なように満遍なく食材をカゴに入れ、今日の夕飯は中華粥を作ることにした。




せっかく外に出てきたのだから少し遠回りをして帰ろうと思い、スーパーを出た後は商店街の終わりの方までゆっくりと歩いてみる。


お惣菜も売っている精肉店のコロッケ、居酒屋が軒先で売るお弁当。なんで夕飯前のこの時間って目につくものがこんなにも魅力的に映るんだろう。


夕方のまばゆい光が差し込んで、お店や道もオレンジ色に縁取られていく。休日のこの時間特有の間延びする空気感は気分を少し浮上させ、自分の住んでいる街がいつもより少し違って見えた。





商店街を抜け、そのまま歩いているとなんだか甘い匂い。


外で嗅ぐおいしい匂いってついつい元を辿りたくなるものだ。


前も駅構内でお茶の匂いを追いかけて行ったら日本茶の催事を見つけたり、街中でパンの匂いがすると思ったらパン屋さんがあったりすることがある。前世はよっぽど腹空かしだったか嗅覚が鋭い犬だったのかもしれない。


匂いの方向を探していると、オレンジ屋根に明かりが灯った小さなお店を見つけた。


思わず気になってお店の前まで来てみると、カウンターでオーダーする持ち帰り専門店のようで、ショーケースにはフィナンシェ、マドレーヌ、バナナケーキなどの焼き菓子が並んでいる。


どうやら焼き菓子専門店らしい。


どれも基本的には茶色く、生菓子のように特別飾り立ててあるわけではない。その素朴さが今の自分にはたまらなく愛おしく見えた。


ごはん前だけどいいお店との出会いはそうあったものじゃない、これも縁だと思い、食べ歩き用にフィナンシェと家で食べる用にバナナケーキを頼んだ。


「お待たせしましたー」


掛け声と共に頼んだ焼き菓子を受け取ると、受け取ったものはじんわりとあたたかい。思わず顔を上げると、お姉さんとぱちっと目が合う。


「焼きたてなのでまだ熱いと思います。うちはタイミングのいい時は出来立てをお渡ししているんですよ。あたたかいのを食べてみてほしくて」


ニコッと笑ったお姉さんからうれしい声かけ。思わず自分もつられて笑顔になる。お菓子作りなんてしたことがないから、あたたかいフィナンシェなんて初めて食べる。ちいさなコミュニケーションが、ふとしたサプライズみたいな出来事が、とてもうれしい。




帰路につきながら食べたフィナンシェはふちがカリッとしていて、しっとりしていて、甘くあたたかい。ほんのり香るメープルがどこまでも優しくて、なんだか気持ちが和む。



人がつくったもの、あたたかい食べ物。食事でこんな気持ちになるのなんていつぶりだったっけ。


気が落ちている時に冷たいものを食べるときっと、もっと気持ちが落ちていく。この一週間そんな単純なことを思い出す余裕すらなく過ごしていた。



そのことに気がついた途端、あたたかいものが喉を通り過ぎて、冷えて固まっていた自分に温度が戻ってきたような気がした。




嫌なことが続くと狭い視野で物事を考えてしまうように思える。どうやったって変えられない現実も、落ち着いて様々な視点から見ればまた違った見え方をするものだ。


大人になったって相手の気持ちを慮ることのできない人もいるし、その人を諭そうと思ったって今度はこちらが疲弊してしまう。


相手を変えることは諦めて、ほどよい距離感を保つのが今は一番いいように思える。自分が少しでも気持ちよく働けるように、頭の中で都合よく解釈していけばよいのだ。


口で言うほど簡単じゃないかもしれないけれど、あくまで仕事場での関係なのだから、仲良しこよしをする必要はない。





今日は早く寝て明日はうんと好きなことをしよう。久しぶりにあたたかいお茶を入れて今日買っておいたバナナケーキを食べて、そのあとはどうしようか。本も読みかけのものがたくさんある、映画も最近ご無沙汰だ。


まだ時間はたくさんある。とりあえずお家に帰ったら体を伸ばしてひと休みをしようか。






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はじめましての方ははじめまして。
フォローしてくださってる方はいつも記事を読んでくださり本当にありがとうございます。

普段はカフェやおやつを中心とした「食」の記事や、おでかけなどの「街」に特化した記事を執筆しているeguchiと申します。


今回の更新から主におやつをメインにした食べ物がテーマの創作ショートストーリーの執筆を始めました。人生に迷ったり、つまづいたり、不器用な彼らが食を通してほんの少し救われる話を書いていきたいと思っています。(イラストも添えます)


基本はこれまでと変わらずおやつなどの記事が中心となります。なのでどのくらいの頻度で更新するか、続くかなどはまだまだわかりませんが、このお話たちが誰かの心に届けばうれしいです。よろしくお願いします。




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