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ep2:海辺の街の、朝焼けベーカリー|#不器用な彼らは、今日もおいしい寄り道をする

目の前にいるのはどんな時も隣で見ていたい好きな人の顔で、今も喋り続ける声はずっと聞いていたい声のはずで。なのになんで、自分の表情は消え、体は硬直したように動かないんだろう。


冷水をかけられたように指先から冷えていって
周りの雑音が遠くなっていく。


目の前で喋る男が急に赤の他人のように思えた。





話の途中から記憶は曖昧で
自分がどんな言葉を発し、表情を作っていたか。今ではもう定かではない。




♦︎




「え、誕生日は一緒にいるでしょ?」
付き合ってもいない友人の立場で、約束の言葉を交わすより先に、当たり前かのように大切な予定を一緒に過ごそうとしてくれていたり


「第一希望受かった!」
大事なことを一番に報告してくれたり


「好きな人にとって世界でいちばんやさしい場所でいたい」
恋人でもなんでもない自分の前でシラフでこんなセリフをつぶやく男だった。




大人にもなりきれず子供でいることも容易くない、自分が自分のままいられる居場所が必要な大学時代に、誰よりも日々を共有した男だった。


学内では多々顔を合わせ、休日はタイミングが合えば少しの時間でも会った。一緒にいない時は好みが会いそうな映画を見つけただとか、今日の晩飯はこんなだったとか他愛のないメッセージが送りあっていた。


互いに恋人もいなかった自分たちは、気がつけば家族よりも、他の友人よりも多くの時間を共有した唯一の相手だった。出会った頃は周りの人間より少し気が合う程度の認識だったのが、一緒にいるようになり、好きになるのにそう時間はかからなかった。



自分以外の友人と会って楽しそうにしている様子を見れば羨ましく思うし、いつかできるであろう理想の恋人像を語られた時には頭から冷水をかけられたような気分になる。

自分という存在がいるのに、なぜ他の人間に恋人という役割を求めるのだろうと。最初はあまりに多くの時間を共有しすぎて、自分と相手の境目がわからなくなった故の子供じみた独占欲だと思っていたが、そうではなかった。




たまに前触れもなく恋人にするかのように甘やかされたり、抱きしめられたり、気まぐれに男は自分の心の柔い部分に触れた。いろんな感情の水を絶え間なく与えられて、芽が息吹き、花を咲かせるかのように欲が育っていくの感じる。


決して情欲なんて激しいものではない。
隣にいられるのが心地が良くて、誰よりもやさしくしたくて、やさしくしてほしかった。その手に何よりも大事にされたかったのだ。


自分の中で密かに育んでいた好意は気まぐれに跳ね返ってくる。
その関係が心地よかった。だけれども、その関係は昨晩一緒にご飯を食べていた愛しい男本人によって切って絶たれたのだった。






「今付き合ってる相手がいるんだけどさ、たまに他の人とも遊んでみたくなっちゃうんだよね」





久しぶりに顔を合わせたのち、突然に語られた恋人ができたという報告。それでも満足やしないと恋人以外とも遊んでいるという。その言葉を聞いた瞬間、行き当たりで入った居酒屋の一角から音が消えた。



どんな表情を作れば、どんな言葉を選べばこの男にとって、この場にとって正解なのかわからない。冷えていく頭の片隅で唯一理解できたのは、この男にとって自分はそんな話を平気でされるほど、恋人というポジションからは遠く遠く離れた場所に置かれていたということだった。






その話題にどう返したか、どんな話で締めたのか、どう別れたのかが思い出せない。まとまらない思考のまま、気がついたら前にも後ろにも進むことが出来ずに道の端でただ立ち止まっていた。





♦︎




家に帰って家族と顔を合わせるのがとても面倒に思えて、帰路とは反対の電車に乗り、歩き慣れた繁華街のビジネスホテルに部屋を取ることにした。



部屋に入るなり、なだれ込むようにベッドに伏せる。



静寂に守られた場所に着いて、やっと何も取り繕わなくていいんだと体から力が抜けるのがわかる。誰の言葉も、視線も、煩わしい。





今はただ誰のことも考えず、一人で休みたかった。





♦︎





駅に降りた瞬間
大好きな潮の匂いがしてふいに泣きそうになる。




昨夜早くに眠りについたせいか、早朝に目が覚めた自分は、まだ夜が明けぬ景色を眺めながら電車に揺られて海のある街まで来た。ひとりで泊まった部屋の静けさ以上に、孤独と向き合うことが耐えられなくなったのだ。




頭がごちゃごちゃして疲れ切ったあとはいつも自然と足が水辺に向かうことが多く、今日も呆然と海が見たくなった。






まだ少し薄暗い街は、観光地といえども観光客どころか地域の人の姿もあまり見当たらない。最近は出かけるにも近場ばかりで、遠くの海に来たのは随分と久しぶりだった。そのせいか、いつもの海に向かう道を歩いていても知らないホステルやカフェなどが点在している。




道の途中で曲がれば海につくのだが、
朝の人気のない道がめずらしく、もう少しこのまま歩いてみることにした。






足を進めて行くうちに、潮風の匂いに混じって香ばしい香りがする。

これはパンの匂いだろうか。
今まで道の途中で曲がっていたから気がつかなかったが、こんなところににパン屋があるなんて。しかもどう見たって最近できた店構えじゃない。かなり古い。



店の中を横目で見ると、
ショーケースには昔ながらの、茶色く照りがあるパンたちが並んでいた。



こぶし型のクリームパン、紅生姜ののった焼きそばパン、ジャムパン、くたっとなったカレーパン。さっきまでお腹は減っていなかったはずなのに、現金なもので腹からはぐぅと音がなる。






「いらっしゃい。」
道端からじっとパンを眺めていたら、中から割烹着を着たおばあさんに声をかけられた。思わず足が半歩出て、ガラス戸が開けられた店の敷居を跨ぐ。


古くから営業してるであろうこのお店は、木造の建物で歩くとミシ、と音がする。扉は常に開きっぱなしで、道と店との境目がない。

朝だからか常にそうなのかはわからないが、明かりはなく自然光の明るさだけで照らされていた。思わず、古さではタイを張るであろう田舎の祖父母の家を思い出して懐かしくなった。






ショーケースに近づいてどうしようかと悩んでいると、最近のパン屋ではあまり見かけないコッペパンがあることに気がついた。ポップの横に小さくあんこ、チョコ、ジャム、ピーナッツと書かれている。もしかしてこれは自分で好きなクリームを選べるということだろうか。

試しに頼んでみるとする。




「すみません、焼きそばパンとコッペパンください」

「中のクリームはどれにしましょうか」



やはり中のクリームは自分で選べるのか。一瞬悩んでいると、二つまで大丈夫ですよと言われる。なんだそれ、おもしろいな。



あんことピーナッツを頼む。食べ合わせなんて気にしない。



包むのを待っている間どこでこれを食べようか考えていた。海辺で食べたいところだが、以前あの辺りでおにぎりを食べてた時トンビが現れものすごいスピードで取っていったのを思い出した。笑い話として話しているが、指から血が出たのは今でも軽いトラウマだ。



コッペパンにクリームを挟み終わったおばあさんが奥から戻って来て、そうだそうだとつぶやきながら、自分がいる方へと戻って来た。



「パン、庭で食べて行くこともできるけどどうしましょう」

「あ、そうしたら食べていってもいいですか。助かります」

思いがけない声掛けがありがたい。おばあさんはうつむきながらわかりました、とにこっと笑って店の奥に庭があるからと案内してくれた。






通されたのは、縁側に小さな椅子と机があるだけのこぢんまりとした庭。
だけど目の前には視界いっぱいの海。


日が昇り始めた海は、うす水色に染まり
空は淡い水色とオレンジのグラデーションで彩られている。



世界にこんなにおだやかな色があったなんて。
海と空の境界線は溶けてなくなりそうだ。


開けた視界の気持ち良さに思わず大きく息を吸う。


海を見下ろすように少しだけ高い位置に立つパン屋の庭からは、波が引いて押し寄せて、という動きがよく見える。太陽が水面に当たって木漏れ日みたいにきらきらと光るのがきれいで、ずっと見ていられそうだ。





食事の前にこの景色を目一杯味わいたくて
額に風を感じながら、海を一心に見つめ耳を澄ました。






まずはトレーに乗せられた焼きそばパンを手に取り口に運ぶ。
持っただけで手の跡がつくくらい柔らかいパンは歯切れがよく、ソースの匂いは食欲をそそる。次の一口まであっという間だ。


食べ進めていくとトッピングされた紅生姜が口に当たる。子供の頃は嫌いだったけれど、いいアクセントになることに気づいてからは少しずつ食べるようにしている。口がまったりしてきたころに食べるのがおいしい。


コッペパンは軽く、チョコとピーナッツクリームの合わせ技はかなりアメリカンな甘さだった。でも朝から無性に糖分摂取したい日というのがたまにある。今日がまさにそれだった。


昨日は自分にとってあんなにショッキングなことがあったのに、きちんとお腹が空いていつも通り食事をしている。まだ全然うまく笑えないし、気持ちは暗いままだけど、一丁前に腹は空くなんてなんだか少し間抜けではなかろうか。

その当たり前ができている自分に
ホッとしたりもした。




♦︎





行き当たりで入ったパン屋のパンは想像通りの味だけどおいしくって、でもこんな見晴らしのいい庭で食べられるなんて知らなくて、目の前には大好きな海の景色がどこまでも広がっている。

尖ったガラスの破片が波に揉まれ角が丸くなるように、ささくれ立った心が少しだけ丸みを帯びたように思えた。



昨夜のことを今でもまだうまく消化できていないけど、今頰に当たる風を心地よく感じるのはわかる。そしてショックなことがあっても腹は減ることもわかった。






♦︎


好きな人のいちばんになれないのはつらい。



恋人になるということはその人の想い人で、いちばんやさしくしたい人で、されたい人で。隣にいることをゆるされた人だから。どんな今までを重ねてきたって、きっとありとあらゆる場面で恋人には敵わない。やるせないなと思う。



むくむくと育ってしまったこの思いの区切らせ方がわからない。正直恋人がいたって相手がどんなに最低なことをしたって都合よくすぐに嫌いにはなれないんだと頭の片隅でわかっている。


そんな器用に割り切れるくらいなら、どろどろとして他人には到底見せられないような執着心なんて抱かなかっただろう。




昨夜のことは今でも断片的にしか思い出せない。ただ、あの話を受けて自分も相手を否定するようなことを言ってしまったし、気分を害したことだろう。都合がいい相手じゃなくなったらきっとあの人は自分に興味をなくす。


元々互いに友情が拗れてからは、自分は執着と献身を、そしてあの人はその向けられた感情の重さを心地よくおもしろく受け入れていただけの関係で続いていたのだ。




ああ、でも、こんなことで終わってしまうとは思っていなかった。
人と人の関係が終わる瞬間はなんて呆気ないんだろう。



思い出だけを大事に抱えて生きていければよかった。けれど、胸に残るのは虚しさだけだった。






あのまま家に帰らなくて、ホテルの部屋にいなくてよかった。

ひとりでいては思い出す顔も、声も、記憶もあった。心がギリギリのところで暗闇に飲まれなかったのは、目に映るきれいな景色、絶えず聞こえる波音、人の手で作られた場所とパンがそっと孤独に寄り添ってくれていたからだ。




せっかくこの街に来たのだから、もう少し海辺を歩いて帰ろう。今は自分の心地いいと思うもののそばでひたすらに癒されたい。

波音に耳をすませて、自分の心も丸く研ぎ澄まされるようにと願いながら。




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#不器用な彼らは 、今日もおいしい寄り道をする は主におやつをメインとした食べ物がテーマの創作ショートストーリーです。人生に迷ったり、つまづいたり、不器用な彼らが食を通してほんの少し救われる話を1話完結で綴っていきます。

お話に出てくる食べ物や、作中でのワンシーンを絵に描いて添えているので、合わせて見てくださるとうれしいです。

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