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悪女考察①永井路子『北条政子』

この小説は高校生の頃、夏休みの課題図書の一つだった。他のも選択肢はあったと思うが何故これを選んだのかは今となっては覚えていない。ただ、当時は予想に反してすらすらと引き込まれるように読んだ、いや、読まされてしまった記憶がある。逞しく生きていく政子の姿を少しかっこよく思い、ストーリーも面白かった。

何十年かぶりに読んでみると、政子が思いのほか「女」を強調しているように感じられて最初はちょっと気が退けた。たぶん読み手の人生観、性別や年齢によって受け取り方も変わるのだと思う。最初に読んだときはまだ女になる前の少女の時であって、今は逆に女を卒業する年齢、女真っ盛りの時に読んだのならまた違った感想も出てきたのかもしれない。
ただ、読み進めていくうちに作者の術中にはまって今回も読まされてしまった。

最初に読んだ時は、政子は情熱的な女、頼朝はクールというか冷酷な男という印象だったが、今回読み直してみて頼朝は意外と茶目っ気があることに気づいた。冷たいところもあるもののどこか憎みきれないで、なぜか人の心をつかんでしまう不思議な魅力のある人なんだと改めて感じた。『鎌倉殿の13人』の影響もあるかもしれない。政子も然りだが、ひょうひょうとした頼朝、田舎者丸出しだけど豪快で温かみのある時政、敵にも味方にも笑顔で渡り合う時房(時連)、敵なんだか味方なんだかわからない三浦義村など『鎌倉殿』のイメージと通じるものが多々あった。

私の中に『鎌倉殿』のイメージが強すぎて、それに引っ張られてしまっている部分もあるかと思うが、三谷幸喜さんと永井路子さんの人物の捉え方がやはり似ているのではないかと思う。ただ一人だけ本書と『鎌倉殿』のイメージがかけ離れている人物がいた。それは、他ならぬドラマの主人公・義時。永井さんの描く義時は存在感が薄く黒子に徹している。本書でも義時の出番は少ないが、同じ永井路子著の『炎環』の中でも掴みどころのない人物として描かれている。大河ドラマ前半の純朴で清々しい青年は、後半のダークサイドに移った権力者と対比させるための演出なのだろう。そして彼がどんなに汚れ仕事を重ねても、視聴者は義時を嫌いにならないで終わる。

話を政子へ戻そう。政子は大恋愛の末に結ばれた夫と一緒になり、女としてはまずまず幸せなほうだろう。夫が浮気をするものの夫婦仲は良く、夫からも信頼され妻としても幸せだったことだろう。しかし母としての生涯は同情を禁じずにはいられない。
自分と同様に情熱的な長女・大姫は父に婚約者を殺されたショックから立ち直れずに病死する。おおらかな次女・三幡も朝廷への嫁入りの渦中に巻き込まれて謎の病死を遂げる。長男・頼家は暴君故に鎌倉を追い出され処分される。次男・実朝は甥に暗殺され、その甥、政子にとっては孫も処分される。

政子にとって、もっとも悔恨の念が残るのは頼家のことだろう。姫たちとは夭折されたことは心もとないだろうけど、親子の絆を結ぶこともできた。実直な実朝も同様に心を通わせることはできた。しかし頼家だけは最後まで親子の絆は結べなかった。人の性格というのは天から授かっている部分が大きいので、たとえ政子の手で育てたとしても頼家はわがままな暴君になってしまった可能性も高い。それでも自分の近くで育てていればという思いはぬぐい切れなかったことだろう。

頼家と政子のやりとりを読んでいると、シェークスピアの芝居を見ているようで面白い。いや、当人たちはつらいのだろうけど…互いに近づきたくても近づけず、反発する心理描写はなかなか読みごたえがあった。
よく「母は強し」なんで言う人がいるけど、私はむしろ「母は弱し」だと思っている。後に尼将軍と呼ばれた豪快な政子でも自分の子ども達に関しては右往左往して、常に戸惑う。

本書は実朝暗殺のところで幕が閉じられている。私としてはその後の尼将軍となった政子の動向が気になる。また機会があれば別の作者の描いた北条政子を読んでみたい。


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