「哲が句」を語る 「同じ」の誕生~裸構造補遺

前回の記事で「同じと違う」が「裸構造」を持っているということを述べました。
その中で、「同じ」がどのように誕生したのかについても、ある程度のことを述べました。
「哲が句」を語る 裸の誕生~裸構造 存在の真実|ego-saito (note.com)

しかしながら、もしも私がこれまで書いてきたことを子細に読まれた方がいらしたとしたら、私のことを二枚舌野郎だとののしっているかもしれません。
というのは、以前に私は、前回の記事とは全く異なる文脈において「同じ」の誕生に当たることを書いていたからです。

それは昨年(2023年)の1月15日に投稿した「「セックス革命」 他者の誕生」という記事です。
「セックス革命」 他者の誕生|ego-saito|note

その中で私は、おおよそ次のようなことを述べました。
「生物は遺伝子の交換(セックス)を行うために、自身と“同等”の資格を持つものとして他の生物個体を識別する必要があり、それが「他者」の誕生であった。」
セックス、すなわち遺伝子の交換を行うようになるまでは、生物個体にとって他の個体は外界の一部でしかなく、その外界の一部でしかないものをわざわざ「他者」と認める必要はなかったが、自身の遺伝子との交換を行うためには、自身の遺伝子との交換が可能な“同等”のものとしての他者を認める必要があったはずだ、という趣旨です。
その事態を私は「セックス革命」と名付け、それが「他者」が誕生した場面であったということを述べましたが、実のところこれは同時に「“同等”の他者」つまり「同じ」の誕生でもあったと考えるべきです。

「セックス革命」の記事の中では、「他者」の誕生は「個物」の誕生でもあると述べました。
「個物」の誕生は、おそらく「ある」の誕生でもあるとみなすべきでしょう。
したがって、「セックス革命」の場面で、「他者」「個物」「ある」「同じ」が宇宙史のできごととして同時に誕生したとみなすべきではないか、と考えられるかもしれません。

ただ、さらに理屈を進めるなら、原子と原子が、互いに“同等”の電子を交換した場面ではすでに宇宙史上に「同じ」が誕生していたのではないか、という見方もできるのかもしれません。いやいやさらにさかのぼれば、クォークだって互いに同等ではないか、などと言い始めると際限がなくなりそうです。
そうなると、私は二枚舌どころか三枚舌、四枚舌のとんでもない野郎だということになってしまいます。
が、どこか不毛な議論をしているようにも思えます。
賢い人ならさっさと整理できそうな話ですが…。

この話を突き詰めていくと、「宇宙の事実」なるものと「人間の認識形式」という例の悩ましい問題に行きつくような気がします。
「セックス革命」の記事では、原始の生物個体が他の個体を「同等の他者」と「識別」した瞬間が、「他者」という「認識形式」のそもそもの発端であったという気分で書いているつもりです。ですが、この記事が「宇宙の事実」について述べているのか、「人間の認識形式」について述べているのか、明確にするのは難しそうです。

ここでもまた、議論は「底抜け」の話に持ち込むしかないのではないか、と考えてしまう、今日この頃の私です。

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