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絶望から立ち直るということ

メンタルがつらかった時期を越えて

先日のnoteで「2021年春、事件発覚後とてもつらかった」という話を書きました。
今振り返ってもしんどかった。日々のルーティンもその日から変わってしまった。寝れないし、ご飯も食べる気がしないし、1年やってたリングフィットも一切やらなくなってしまったし。(その後転居して音の問題でできなくなったのが悔やまれる)
体調も本当に良くなかった。一時期耳が聞こえづらくなったし、当時から始まった片頭痛は今も残っているし、胃腸もずっと調子が悪くて体重もかなり落ちたし。(なお今はプラスに転じた)

でも一番大きかったのはメンタル面、絶望感でした。

今回の事件は私にとって、これまでの自分の価値観を根本から破壊するような、もはやトラウマ的な体験でした。他者への信頼はもちろん、過去の自分への肯定感、目指していた将来像、今まで積み上げてきたすべての価値観が崩れ落ちた感覚です。
事件の当日まで、私は「自分の人生は、自分の努力でコントロールできるものだ」とどこか思っていました。でも100%そうではなかった。
頭の中に積もった瓦礫の中で、もうどうしようもない、終わりじゃないかと、当時はひたすら考えていました。

しかし、9カ月後の2021年冬ごろには、この絶望感からはかなり抜け出して、割と元気を取り戻していました。
そして、2年半が過ぎた2023年冬現在。もう絶望する気持ちからは完全に立ち直っている。そしてなぜか発覚前以上に人生は明るいと思っている。

だからもし今つらい気持ちの人には、なんとかなるよ!とお伝えしたいです。そして当時を振り返ってみて、立ち直るためには2つの要素が必要だったのだと思っています。

1つめは「時間」。
2つめは「『人は絶望的なできごとから立ち直ることができる』ということを知ること」です。



人は絶望的なできごとから立ち直ることができる!

2022年秋に「OPTION B」という本を読みました。

これが本当に良い本で、飛行機の中で読んで号泣しました。(完全にやばい人だった)
このときにはもうかなり立ち直っていたのですが、自分が立ち直ったプロセスの答え合わせをするような感覚でした。

内容をざっくり説明すると、
著者のシェリル・サンドバーグ氏が、最愛の夫を旅先で亡くすという絶望的なできごとから、どのように立ち直ったかの実体験を書いたものです。
シェリルは夫を失った絶望感に加え、父親を失った子供たちの未来を悲観して悲しむのですが、友人で心理学者のアダム・グラント氏から「人生を打ち砕く経験から回復するための具体的なステップ」を教わって、それを実践していきます。
つまり、心理学にもとづいた心の治療とリハビリをしていく訳です。

メンタルを病んだ時って、なんかふわっとした問題として片付けられがちではないかと思います。でも、病気や怪我を治すのと同じように、心が折れた場合にも立ち直る方法が検証されてきていて、ちゃんと科学的な根拠がある。
その事実だけでも私はなんとなく救われる気がしました。個人的な私の悩みだけど、人類共通の課題なんだと思って。(人類のみなさま巻き込みすみません)

本の中ではいくつかの立ち直るためのコツが紹介されているので、渦中の人も、そうでない人も役立つトピックをいくつか紹介します。
まず大前提として、人が絶望の中にいる時に、立ち直ることを妨げる「3つのP」を知って欲しい。

・自責化(Personalisation):自分が悪いのだと思うこと
・普遍化(Pervasiveness):あるできごとが人生のすべての側面に影響すると思うこと
・永続化(Permanence):あるできごとの余波がいつまでも続くと思うこと

『OPTION B』P21より

つらいできごとがあった時、人はこの「3つのP」の考えに陥りがちだそうです。私も当時を思い出すとものすごく当てはまる節がある!

当初色々なことに対処しながら、まず「こうなったのは自分のせいではないか」という【自責】の念に駆られました。
多分、渦中にいるとどうしてもそう考えてしまうのだと思います。理由がない理不尽に理由を探しても出てこない。そうなると、自分を責めるのが手っ取り早い。今考えると10000%私は悪くないんですけど、「過去に徳を積んでなかったから…」という領域にまで入ってました。
(自責思考までオタクで笑う)

「私の人生はもう全部終わりだ」「この絶望は一生続くんだ」という気持ちもありました。事件が自分に与える影響が【普遍】的で【永続】的だと思っていたんですね。たとえば、この壮絶な裏切りを経た自分はもう結婚することはないだろう、メンタル不調を抱えてしまったからには、これまで以上の成果を仕事で上げることはもうないだろう、なんてことも考えていました。
(今考えると、暗い気持ちで未来を考えて、明るい展望なんて浮かぶわけないから全然そんなもんだし大丈夫だよ~!)

立ち直るために、こういった3つのP的思考から抜け出す必要がありました。
つらいできごとが「自分ひとりのせいではない、すべてではない、ずっとではない」ことに気づけば、子供も大人も立ち直りが早くなることを、実際に多くの研究が示しているそうです。
コロナ禍ですっかり身近になった「レジリエンス」(困難や逆境から立ち直る回復力)ですが、これはあらかじめ量が決まっているものではなく、いつでも鍛えることができるのだといいます。逆境の中でもレジリエンスを鍛えて、どん底から這い上がることができる。

立ち直りのプロセスは「人は絶望的なできごとから立ち直ることができる」という前提を知った上で、「自分ひとりのせいではない、すべてではない、ずっとではない」を少しずつ検証することで、レジリエンスを鍛えていくことなのだと思います。

レジリエンスを鍛える方法はいくつもあって「OPTION B」でも色々な研究や関連する人たちの試行錯誤が紹介されているのでぜひ読んでもらいたい。


渦中の私にとってのレジリエンスの筋トレ

今振り返ると本当に不思議なのですが、事件が起きてからの私は、とにかく人に事件のことを話したくて仕方がありませんでした。
職場でも上司や先輩から「最近どう?」と聞かれると「実はですね…!」と身の上を語っていたし、知り合ったばかりの人にも「ちょっと私の話聞いてもらってもいいですか!?」と長尺で話していました。(シンプルに迷惑)
話に付き合ってくださったみなさんは、ほとんどの方が面白がって聞いてくださり、「クソ野郎じゃん!」と夫をディスり「頑張れ!」と励ましの言葉をかけてくださいました。反応に困ったであろうに、温かく対応してくれたみなさんには感謝しかない。

「OPTION B」にも少し似た体験が出てきます。
夫の死後、シェリルは周囲の人が夫の死やそれに伴うシェリルの生活の変化に言及せず、当たりさわりのない話をすることが大きな苦痛だったそうです。夫の話をしたいけれど、タブーになってしまっている。

いつも夫婦で参加していた集まりに行っても誰も夫の話題は出さない。職場でもあえて立ち入ったことは聞かれない。みんながある意味空気を読み、何もなかったかのように振舞っている。喪失を経験したことのない人たちの多くは、ごく親しい友人や同僚でさえ、自分たちになんと声をかければいいか分からないようで、自分たちがそばにいるだけで、みんな気づまりを感じているようだったと言います。
「自分も苦難の中にいる人に、あえて立ち入ったことを聞くことを避けてしまうときがあった」「みんなは自分にどう声をかけたらいいのか分からないのだ」と気づいたシェリルは、自分の思いや今抱えている孤独・空虚感、どう声をかけて欲しいかなど、思いの丈を綴った文章をFacebookに思い切って投稿します。この投稿にはたくさんのコメントが寄せられ、シェリルを励ますだけでなく、自らの置かれた状況を告白する人、さらにそれを励ます人と、大きく広がって行きます。そしてこれをきっかけにシェリルと周囲の人々との関係性が劇的に改善されていくのです。

当時の私の行動を今振り返ると、「話すこと」自体がとても意義のあることだったと思います。周りの方からの支援を得ることができたし、いただいた励ましの言葉が「自責化」から抜け出す手助けをしてくれました。
私に起きた事件は、直接的に私が悪い訳ではないものでした。でも先に書いたように一人で考えると、どうしても「自分にも何か悪いところがあったのでは」と思ってしまいがちでした。事件について話して、第三者の方から「あなたは悪くない」と言っていただく中で「確かにそうだよな、私のせいではないよな」と納得して行った感じがします。

また「書くこと」も、同じように「自責化」に有効だったと思います。
当初は主に弁護士さんへの提出資料と、やや呪念の籠ったTwitterで事件の概要を書き起こしていたのですが、書きながら何が起こったのかを読み手が分かりやすいように整理していくことで、俯瞰して事実を見られるようになったと思います。ドラマっぽい相関図になってみると、やっぱり自分が直接的な原因ではないよな、と何度も確認ができました。
また副産物ではありますが、文章に残したことで気持ちも楽もなりました。事件の記憶はやはりつらいものではあり「忘れたいけれど、決して忘れてはいけない」というような未知のカテゴリにありました。文章に起こしたことで、もう覚えていなくてもいいのだとプレッシャーから一つ解放されたのは大きかった。

自分の身に起こった悲しいできごとを、だれもがオープンにしたいわけではない。自分の気持ちを表すかどうか、いつどのような場で表すかは、一人ひとりが決めることだ。それでも、つらい経験を包み隠さず語ることは心身の健康増進に効果があるという、有力な証拠がある。友人や家族に語ることを通して、自分自身の感情を理解するとともに、人に理解してもらっていると感じられることが多い。

『OPTION B』P54より 

つらい体験をして抜け出せない時、その体験をタブーにせずに思い切って話してみるのも打開策になるかもしれません。話せなければ、書いてみる。noteとか、Twitterとか、ちょうどいいですよね。思い浮かんだことをつらつら書き続ける「ジャーナリング」というモヤモヤ解消法も実際にあります。
私の渦中では「書くこと」「話すこと」が「全てが自分のせいではない」と理解する手助けをしてくれました。そんなレジリエンスの鍛え方もあるんだと思います。


絶望のあとに私に起きたこと

さて、事件から9カ月後の2021年12月、私はふと思い立ってカルディでクリスマスのお菓子をたくさん買い、小さなギフトをたくさん作っていました。どうしてもお世話になった職場のみなさんに、気負い過ぎずに喜んでもらえるものを渡したいと思いました。普段からよくお菓子をシェアする方ではあるのですが(妖怪チョコ配りの異名を持っている)、ずぼらな性格なのでこんな可愛くパッケージを作るようなことはしたことがなかった。でもこの時は「お世話になったみなさんに、絶対に感謝の気持ちを伝えねばならぬ…!」と不思議なくらい燃えていました。
これまでの人生で一番「感謝の気持ちをみんなに伝えたい!」と強く思ったのは、あの2021年の冬だったと振り返って思います。

実は「悲劇を経験したことで感謝の念を強くする」ということはよくあることなのだそうです。OPTION Bでは、さまざまなトラウマを耐え忍んだ数百人の経過を追った研究が紹介されています。多くの人は長期にわたって不安やうつに悩まされますが、ネガティブな感情と並行してなんらかのポジティブな変化が見られたり、苦しみをバネに成長する人がいることが明らかになりました。このトラウマ後の成長のことを「心的外傷後成長(PTG:Posttraumatic Growth)」と言います。PTSDはよく耳にしますが、PTG研究はまだはじまって20年ほど。割と最近分かってきたことのようです。
失ったものを嘆き悲しむ気持ちだけでなく、今自分が生きている当たり前の日常や周りの人の思いやりに対して「深い感謝の気持ちを持つ」ようになること、これもトラウマ後の成長の一つだと言います。

ほかにトラウマ後の成長として挙げられるのが「人間としての強さを自覚する」こと。これはとても納得できますよね。自分でも思うんですけど、ぶっちゃけた話、私今めっちゃ強いですもんね…?
一番信頼していた人間に10年越しに裏切られても、私は徐々に立ち直ることができた。これを乗り切った自分は最強だし(私調べ)、今後トラブルに見舞われてもなかなかこれを超える体験はなかろう。きっと折れずにやっていくことができると思っています。

また「新たな可能性を見出す」という成長もあります。例えば、妻を癌で亡くしたことをきっかけに、がんの早期発見を目指す会社で働き始める人。子どもを亡くしたことをきっかけに、恵まれない子どもたちを支援するNPOを立ち上げる人。大きな災害をきっかけに、消防士や医師を志す人。
そこまでの大きな話ではもちろんないのですが、私もnoteをはじめた一番の理由は「自分と同じように困った人の役に立ちたい」という思いでした。
不倫されると、ある日いきなり離婚の当事者になります。しかし、メンタルがボロボロの中一体何をどうすればいいのか分からない。交通事故だったら警察やJAFを呼べるけど、不倫されたって現場検証をしてくれる人はいないし、一番の相談相手はいきなり敵になっているし。普通に真面目に生きてきて、裁判所にも行ったことないし、弁護士に依頼するようなトラブルもそうそうない。そうして困ってしまった時に、先を行くサレ妻の先輩方のブログやTwitterでの体験記にものすごく助けられました。だから自分の体験も誰かの役に立つのではないかと思ったのでした。

そして実際に書いてみて、同じような体験をした人から感謝の言葉を驚くほどたくさんいただきました。また別のつらい体験をした方からも、自分も頑張ろうと思ったというお声がけをいくつもいただきました。これは本当に嬉しかった。自分の苦しかった経験が、本当に誰かの役に立つとは。このおかげで、自分の苦しんだ経験にも意味があったのだと思えるようになりました。これが人生を悲観せずに前に踏み出す力になっていったと思います。


2023年現在、立ち直って考えていること

サレ妻になるなんていうどうしようもない事件、経験しなくて済むなら経験するべきではないものだと今でも思います。
事件が起きる前に想像していた、私にとっての「OPTION A」であった「夫と一緒に生きていく未来」はある日突然絶たれました。でも、だからと言って私の人生が終わるわけではない。Aとはまた違う「OPTION B」の未来を模索して一生懸命生きている。
その中で、感謝の気持ちや、誰かの役に立ちたいという新しい可能性を持つことができた。きっと事件がなければ、人の悲しみに心から寄り添うことはできなかっただろうし、今ある環境を退屈とか当たり前に思ったままの、鼻持ちならない性格の自分で30代を生きていたと思います。

私は、OPTION Bの人生を生きる今の自分がとても好きです。
今つらい思いをしている人も、きっと必ずそう思える日が来ると思います。なぜなら今、こんなケースがあるんだということを知ったから!知らない未来に向かうのは難しいけれど、知っている未来には辿り着きやすい。
やあ、未来から来たサレ妻だよ。あなたの人生はきっと大丈夫。

そして、渦中の私を助けてくれた、友人・家族・同僚、弁護士の先生方、そして出会ったすべてのみなさまに心からの感謝を。いただいた温かい気持ちを忘れずにこれからも過ごしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。みなさまの年末年始のひとときが穏やかで良い時間になることを願っています。どうぞ良いお年をお迎えください。

2021年冬、友人が連れ出してくれた横浜。みんなのおかげで希望が少しずつ見えてきた、そんな冬でした。


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