愛と恋を編む
ある時、少し大人な描写がある作品を読んだ。
よくある、大学生になった男女のあれこれを描いた物語だった。
そういう作品だからか、結構そういう行為の描写が扇情的だったし、多かった。
多分それ目的で読む人もいるんだろう。
なら、なんでおれは読んだのか?
単に、二人が織りなす謎のシチュエーションが面白そうだったから笑
その物語では、
男は女に恋し、体を重ねた。
女は別の男と付き合いながらその男に恋し、それに応じた。
単に見ればそれは複雑で黒い欲に満ちて、それでもそそられるもののように思うだろう。または、ありがちだとか思うだろう。
しかし、少し紐解くとあっさりしていた。
男は安らぎを求め、女は純粋な愛を求めていただけだった。
このことに気づいた時、愛と恋って「糸のようだな」とふと思った。
愛や恋は、互いの糸を交差させたりくぐらせたりと、まるであやとりのように様々な形を作り上げていく。ただただ二人で一緒に編み、二人の求める形を探しながら。
でも、時にうまく伝わらなかったり、思うような形にならなかったりして、ぐちゃぐちゃになってしまうこともある。
でも俯瞰して見れば、そのぐちゃぐちゃは「何かの形」に見えてくる。たとえば、それはちょうちょだったり、花だったり、銀河だったりするかもしれない。アクシデントや試行錯誤の果てに、オンリーワンの形を作ることだってあり得る。たとえ、周りからいびつに見えても、二人には綺麗な何かに映るのだろう。
そのぐちゃぐちゃの中に何かの形を見出せるから、みんな夢中で編んでいくのかもしれない…。
さらに俯瞰すれば、様々な外的要因はあれど、それを編んできたのは紛れもなく自分たちの手であることにも気づくだろう。
だから、もつれたりしたら自分たちで解いて、一から作り直すしかない。
そして、その形を作っているのはただの二本の糸。
お互いのシンプルな愛や恋なんだと気づく。
そのことに気づけず、相手のことを気にせず自分の思うとおりに編んでいくと、引き返せない程にこんがらがってしまう。そうしたら、その糸から手を抜くか、ハサミで断つしかない。二人の作品は完成しないまま、捨てるしかなくなる。
そう思うと、いかに愛と恋を編むことが難しいか分かった気がした。
街や学校で見るカップルは今日も、お互いの求める形を探りながら編んでいる。その姿に嫉妬は湧かない。むしろ尊敬すらしてしまう。
そんなおれの手には、ただの糸が輪っかになったまま。
編む相手が現れる予定も、あまつさえ自分のみで編む予定もない。
そうする前に、自分にはしなければならないことがある気がするから。
それが終わってから、愛や恋を編んでみようかな。