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「うまくいって欲しい」希望と       「失敗したらどうしよう」という幻想

子どもは、たくさん準備をする社会に生きている。
入学式、運動会、学芸会、卒業式
「きちんとしなさい」と言われることも多い

「予行演習」という、まるで軍隊と同じ準備は学校ではあたり前だ。
必然的に、「うまくやらないといけない」
「失敗してはいけない」という発想も子どもの中に身についてゆく
失敗すると、誰もが不安になる。「うまくゆかなければならない」という幻想を持ち続けるのが、子どもも大人も苦しい。
では、うまくゆくとはどんなことか?予定した通りに行動できることか?参加した人が満足することか?大人が満足することか?
それとも両者に、共通の成功イメージがあるのか?
私は、準備を十分にしないことが多いのでよく迷惑をかける。この場合の迷惑は、周りの人が十分に説明されていない?(誰もが納得ゆかなくてもいいという不都合)ので慌ててしまうことがよくある。
試合であれば、負けることもある。
試験であれば、成績が悪いこともある。
これはダメなことなのか?
要は自分が納得できるまで、やり続けることができればそれでいいと思っている。
今日はうまくいった、さっきはうまくいった。我々の評価の基準が曖昧なままに、短期的にいろんなことを言いあっても、そのことにどれだけの重要性があるのかは疑問だ。
同じ非営利で教育の事業をおこなっている人で「私は結果が全て」だと思っているので言い訳しません。と日々活動を積み重ねる人もいれば、自分の仕事がうまくゆかないことを周りのせいにしたり、条件のせいにする人もたくさんいる。年齢や性別は特に関係はない。

成功も失敗も、あまり短い時間で決めるものではない。
生きていれば、何度でも挑戦できる。うまくゆかないこともよくある。
あまり、短期的にものを見ると成果が出にくいものまで測らなければいけないし、安易に成功したとか?失敗したとか。一喜一憂することにも、疲れてしまう。疲れて、やる気を失っては、全く意味がない。
私たちは、継続し続けるモチベーションこそ大事なのに、自分で自分を評価し、卑下して見下してしまう。辛いことを、感じないようにしている。この世で生きるために、鈍感になろうと努力している気がする。
子どもは、人生経験が少ないから鈍感に生きることができないから、たくさんのことが気になって辛い。学校に行かないこともその一つだ。

長い目で見て考えれば、成功や失敗を超えて子どもたちは途方もない成長をしている。ある程度の時間をとる視点の長さこそ大事だと思っている。







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