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パンドラの箱が開き、今宵の闇夜に月は光る

 4月21日、京葉線の車内にて。
 
 東京湾の夜がびゅんひゅん遠ざかっていく車窓をボンヤリ眺めている。

 「おとこもすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

 という、例のごとく日本一有名なひと文がふと脳裏に浮かび、「あゝ、始めるなら今日からだな」と、わたしはスマホを取り出して何事かを書き込みはじめる。

 窓の外の真っ暗闇に重なるようにして、過去の記憶が浮かんでは消えていく。こう一言で書いてしまうと、極めて陳腐になるけれども……。
 本当に、本当に色々あった。色々、ありすぎてしまった。わたしにとって、このコロナ禍の4年間はーー。

 パンデミックによる予期せぬ失業、元々ずっと不仲だった入籍相手との別居、恩師と呼んでもいい、心の支えだった人の訃報も二回あった。
 改めて書きくだしてみると、人生で出会うであろう最大レベルの不幸の見本市のような感じにも見えて、乾いた笑いも込み上げてくる。
 こんな人生になっているんだよと、ビフォーコロナの平和そのものだった世界のわたし自身に教えたら、一体どんな顔をしただろうか。

 「わたしだけ、生き残ってしまったな」

 ため息のような独り言が漏れる。隣の席で、わたしに寄りかかりウトウトしていた息子が「なあに?」と寝ぼけ声でむにゃむにゃ喋った。彼に聞かれていなかったことにホッとする。この子だけは可能な限り傷つけないと心に誓って、歯を食いしばり生きてきた4年間を思う。

 あんなに才能溢れていた宝のような恩人達がこの世を去り、皮肉にも、歯を食いしばるしかできない無能なわたしが残されてしまった。
 理由は分からない。おそらく理由などないのかもしれない。人の生き死になんて、そもそも意味がないのかもしれない。
 しかしわたしは、その意味が知りたくて言葉を綴り始めたのかもしれなかった。2020年から始まった魔の4年間、敢えて封印していた自己開示というものを始めたくなるほどの、切実な欲求だった。どんなブラックボックスでも、中身が何なのか知りたければ開くしか手段はない。

 願わくば、わたしのなかで荒れ狂うカオスの中に、一握りの希望だけでも残されてはいないだろうか。禁忌を犯して開かれたパンドラの箱のように。

 東京湾の夜は、高速で窓の外を飛び去っていく。海の闇と同じぐらい真っ黒なわたしの目がガラスにうつっている。何もかもが黒い窓の世界に、月だけが煌々と明るい。息子がまた何か寝言を言って、わたしはそのあたたかい手を握り返した。


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