見出し画像

『平等』って?

noteを読んでいて、考えてみました。

先日起こった、腑に落ちない出来事

ある会合に参加しました。

くじ引きによって選ばれた男女混合の6人グループが2つ。

皆、初顔合わせ。私はDグループ。

司会者「では、Cグループからサブリーダーを選んでください。」

当然、沈黙・・・

私は、心の中で、『Cグループだったら、私やってもいいけど・・・』

おそらく、司会進行をする程度のことじゃないかな。と思ったから。

Cグループで口火を切ったのは、70代くらいの女性。

「こういうのは、男性にお願いしたい・・・どう?」と、隣に座っていた30代くらいの男性に声をかけていました。

え?! その言い方?!

そもそも、そうやって話を仕切れるなら、あなたがやればいいじゃない?

そう言いたかったけど、今後どのようにこの人たちと関わっていくかわからないから、波風を立てるのは得策じゃないから、黙っていたけどね。

帰宅後、夫の考えを聞いてみる

「これって、逆に『お茶を入れるのは女性にお願いしていいですか?』って言ったら、怒られるんだろうね・・・」

人には当然、得意・不得意があると思うので、声のかけ方には、本当に配慮が欲しい。「男だから、女だから」っていうのは乱暴すぎる。

『平等』って、思いやりの心が、必要なのでは??

家庭に返してみると

2人の子育てをしていく中で、『平等』とはなかなか程遠い生活を息子たちに強いて来てしまったように思います。しかし、世の中の荒波を生き抜いていくには、十分すぎるほど社会の縮図のような家庭環境だったので、息子たちは、同年代の子どもたちとは、どこか一線引かれてしまうような子供時代を送ってきたことでしょう。

おばあちゃん第一主義

ーおばあちゃんのやることに誰も意見を言えない??ー

子どもたちは、冬の寒い日には、厚着を強制。

危ないことをしそうになると、止められる。お友達を家に呼べない。

お願いをすれば、泣いてしまう・・・
※嫁の私が、子育てについて「先回りして声をかけたり手を出す前に見守ってほしい」とお願いしたところ、シクシク泣き出してしまい、それ以来、一切お願い事をすることは諦めました。子どもの前で話をしたわけではありませんが、息子たちは何かを感じ取っていたのでしょう、おばあちゃんに一切口答えすることはありませんでした。

息子たちは、納得できないことは、私に訴えてきました。

おばあちゃんを否定することはできませんから、「人には、考え方が様々にある」「おばあちゃんが言っていることも一理あるけれど、お母さんは違う考え方だよ。あなたが思うとおりにやればいいんじゃない?」

という話を毎回毎回言って聞かせました。

だから、早い時期から、物事は自分の思い通りにはなかなかいかない。

正しいと思っていることでも、全てが、そのまま受け入れられることでもない。という事を実感していました。


子どもらしくない子ども

保育園の先生に言われてしまいました。
「風船をたくさん飛ばしても、〇〇くん(長男)は、ちっとも喜ばないんですよ。子どもらしくないお子さんですね。」

大人の中で揉まれていたせいなんですかね?

同年代のお友達とは、遊び方が合わなくなっていきました。

まとめ『平等』って・・・

相手にたいして、『配慮』『思いやり』の気持ちが入ってはじめて成立するものなんだろうな・・・

人には得意不得意があるから、物事をお願いする時には、「男だから、女だから」というのではなく、「得意な方いらっしゃいますか?」「あなたにお願いしてもいいですか?」という前置きがあって、取り決めたのであれば、『平等』は、保たれるかな??

子どもに対して、「外は寒いんだから着なさい」と言った時、
「寒くないから着ない」と言われ、
「そうなんだ」←相手の意見を尊重していることになる

というやりとりであれば、『平等』だと思うけれど・・・

「外は寒いんだから着なさい」と言う言葉と表情が威圧的で
『ここは言う事を聞かないとまずい』と空気を読んで言うとおりにする。

というやり取りは、『不平等』になるんだろうな・・・

でも、そのあと、「俺は暑いんだから・・・」と、上着をぽーいっと
放り投げていける人は、世渡り上手??

言うとおりにしておいた方が楽だから・・・と、何の疑いもなく
言われたとおりにするようになってしまう人(子)は、言われないとできない人(子)になる??

・・・って、考え始めると、身近にいる人は声かけに気を付けていかないとな・・・

考えるきっかけになるこのnote、一緒に住んでいる大人たち(夫、義父母)は、ありがたい存在です。


サポートをいただきますととても嬉しくなります。いただいたサポートは、私の学びのアウトプットの原動力になります。