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妻がSOSを出すまで、僕は育児の大変さに気づけなかった

令和初日の5月1日、ハーバービジネスオンラインでこのような記事を公開した。

僕が育児をする中で感じたモヤモヤを綴ったもので、たくさんの反響があった。

「育児は母親がひとりで担うには辛すぎる」「育児は夫婦が協力してするのがいい」「必要に応じて第三者を頼る」など、子育て環境のおかしさについて夫目線で偉そうなことを書いている。

しかし実際には、妻が追い詰められてSOSを発するまで育児がどれほどの負担かを理解できなかった。

妻が妊娠中から家事をたくさんしたし、生まれてくる子どもの洋服や必要な道具などを一緒に揃えた。妊娠生活ではつわり、胃の重さなど体に変化があるので、いつも以上にねぎらった。妻とともに子育てをしようと思っていた。

しかし、僕がメインで育児をしようという意識は低かった。当時僕がイメージしていた子育て割合は、妻6:僕4、いや妻7:僕3くらいに思っていたかもしれない。僕も頭のどこかでは、子どもにはママがいいに決まっていと考えていたのだ。夫である僕は、家計を支えるため仕事に邁進するのが役割だと思い込んでいた。

育児において妻がリーダーで、僕はサブでいいという気持ちは、何よりも行動にあらわれる。受け身で、主体性がない。夜の授乳は妻の担当だと思っていたから、夜に息子が泣いても僕はまったく起きられなかった。そもそも、息子の泣き声が聞こえなかったのだ。

オムツ交換の仕方がわからなかったときは、妻に「わからない。次からやるから今回はやって見せて!」と後回しにしたことがある。

わからないのは妻も一緒だ。しかし、僕は妻という子育ての先輩に手本を見せてもらいながら、のんびりと育児スキルを上げていけばいいと悠長に構えていた。だから、いますぐできるために必死にならなかった。

妊娠と出産で妻は心身に相当のダメージを負ったにもかかわらず、僕は妻をケアしているつもりになっていただけで、実際にはまったくケアをしていなかったのだ。疲れている妻を傍目に、片道1時間半の通勤をして家を12時間空けていた。

その結果、妻の心身のバランスは急激に悪化し、「死にたい」「子どもがかわいくない」などと発するようになった。おしるしがあり、いよいよ陣痛がやってくると思った日の朝、「私の中からいなくなってしまう」と大きなお腹をさすった妻の姿は、そこにはなかった。

その後限界を迎えた妻から「もう無理」「今日会社に行ったら一生恨む」などと強烈なSOSを受け、僕は考え方と働き方を変えて現在に至っている。

夫婦が一緒に育児をして、大変さも楽しさも共有することのメリットは、想像以上に大きかった。ゆとりが出るし、自分が病気になったり、手が離せない状況になっても、「パートナーが子どものお世話をできる」と考えられることの安心感が持てる。自分が倒れたらおしまい、すべてが自分にかかっている状況によるプレッシャーを感じ続けるのは、精神的にはよくない。

いま僕ら夫婦は、僕が自営業、妻が会社員との形に落ち着いている。今後は僕も会社員になるかもしれないし、妻が自営業になるかもしれない。夫婦が一緒に事業をする可能性もある。状況に応じて、働き方をどんどん変えていく。僕ら夫婦はそう考えている。

妻のSOSを受けて子育てをメインで担う過程では、たくさんの迷いや葛藤はあった。一方で、我が子の成長を目の当たりにできる楽しさもいっぱいあった。まもなく2歳を迎える息子は、妻と同率で世界一かわいい存在だ。たくさんの愛情を注ぎ、彼の喜怒哀楽、病気に向き合って受け止め続けてきたことで、息子は超がつくほどのパパっ子になった。

息子が将来パパになったとき、子育てはママがやればいいなんて考えが古びていることを願っているし、それは実現されるべきだ。僕は自分が犯した失敗、育児について持っていた古い考えを、息子には繰り返して欲しくない。

そのために、息子には子育ても仕事も楽しむパパの姿を見せ続けたい。それは、僕が長い時間をかけ、自分の行動を通じて施す息子への教育なのだ。

子育てをしやすくするためには政治を始め、制度設計の変革は必要だろう。でも、ひとりひとりが持つ「男性は仕事、女性は家事・育児」という性別役割分業の考えを改めることも大切だと思うのだ。

産後から現在に至るまでのプロセスは、このnoteで詳しく触れている。


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