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その、脳内物質の出しかたを決める

この前は、自分のやりたいことを、突然の世界平和から始まって、いったん結論として「世の中のすべての人々の脳みその中に、幸福を感じさせる脳内物質をバンバン出し続ける問題をブロックチェーンを使って解く」とか定義してみたわけですが、もちろん、これに当てはまるものなら、なんでもOKというわけではないです。

幸福に関係しそうな脳内物質としては、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィン、オキシトシンなどあるようですが、それらの出し方については制約が必要かもしれません。

なぜか? ちょっと極端な話をします。

これらの脳内物質をドバドバ出すのが幸せなんだったら、こんな実験を全世界的にやってしまえばいいんです。それは、ラットがレバーを押すと、ラットの脳のある部分に刺した電極から電気刺激が与えられるようにしておくという実験です(James Olds and Peter Milner, 1954)。

実験の結果、ラットはひたすら自分でそのレバーを押し続けたそうです。対象を人間にした例もあって、Robert Heathの実験なんかが有名ですが、実験をやめないでほしいと懇願する患者もいたとか。

ぼくは幸せボタンをひたすら押し続けたいのか?

ひょっとしたら、この世に自分一人しかいないのなら、そんな方法もアリなのかもしれないと、ほんの少しだけ思います。自分はそれで幸せを感じ続けられるわけですし。

だけど、ぼくらは、たくさんの人々の中で揉まれながらこの世を生きています。ボタンを押し続けているぼくを見て、周りの人々はなんて思うだろう? という思考が頭をよぎります。

ひたすら機械的にボタンを押し続けているぼく、

それを見て憐れむ人がいるだろうなと思うぼく、

そんな微妙な感情を持ちあなたに気づきながらもボタンを押し続けてしまうぼく、

そういう目であなたは見られていると思って気まずさを感じつつもあなたはぼくを見ているよねと感じるぼく…

思考はどんどんループしてしまうし、文字で書いてみるとひどく複雑なんだけど、これを一瞬で無意識で感じてしまうというのが、僕ら人間の脳みそのすごいところであり、話をややこしくするところでもあり、今回のテーマの中で定義を簡単にさせてくれない理由でもあります。人間はそんなに単純ではない。

ともかく、見かけが、電極を脳に突っ込まれた痛々しい姿ではなく、超微細なチップを埋め込むことで外見上は全くわからないようになったとしても、さらには全く脳には手を加えずに薬を使って出すのであっても、治療のためにやっているのでなければ、結局はそういった自身や他者の微妙な感情がネックとなって、やっぱり嫌だなとなりそうです。

では、どういう状況で、どのように出したら幸福だといえるのか?

このあたり、答えがあるようでないような、難しい領域に入ってきている気がするけれど、ひとまずは、えいっと決めてみないと先に進めないので、これなんだよと決めてしまいたい。

けど、今日は時間がなくなったので、ひとまずここまで。

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