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書評:逆ソクラテス 伊坂幸太郎著

文庫本の短編少年というタイトルの小説を購入しました。
奥田英朗さんや朝井リョウさんらが参加し、少年を主人公とした短編小説が掲載されています。
そのなかから一番最初に掲載されていた伊坂幸太郎さんの逆ソクラテスの感想を書きたいと思います。

短編少年表紙

日頃から本はよく読むのですが、読解力が無いに等しい私が気づいたことを書きたいと思います。若干のネタバレありです。
ちなみに、2回読みました。

面白いと感じたところ

大人たちの名前が久留米先生以外は、匿名に近い形。
特に、キーマンとなるプロ野球選手は「打点王氏」といういかにも不自然な呼び方をされています。
おそらく、子供たちに焦点をあてるため、あえて固有名詞を排除したこと、そして久留米先生に焦点をあてたかったのではないかと思います。

発見したところ


再読したときに、冒頭のシーンが佐久間先生の情景を書いているのだと分かりました。
(私の主観ですので、正解はわかりませんが。)
テレビをつけたり消したりしている、そして、ファインプレーをして選手がサインをしたことで再びテレビを切ったことから、どうやら久留米先生のことを書いてるんだなーと気づきました。
最初読んだときは、加賀がテレビを見ている様子を書いたのだと思ってました。

自分なりの発見ができることは小説を読む楽しさの一つですよね。
作者は、何時間もかけて小説を練り込んでいるわけで、私たち読者も内容を読み解こうとすれば、いくらでも時間を掛けられるし、時間を掛けることが作者に対するお礼なのではないかと感じました。

気になったところ


久留米先生は、安斎たちとのやり取りを通じて、「先入観で人を見ない」という悪い癖を除くことができたのでしょうか?
ここを読み解くポイントとして、私が取り上げたいのは、冒頭のシーンです。
久留米先生は、野球中継をテレビをつけたり消したりを繰り返しながら見ており、ファインプレーがあってからすぐに消しています。
これは、「打点王氏」からバッティングを見てもらった後の安斎と草壁の会話に呼応しています。


「もし、久留米先生がテレビを観ていたら、驚くだろうな」と言った。
「たぶん、つらくてテレビを消しちゃうぜ。」

もし、安斎との一連の出来事から、生徒に先入観を持つことをやめて、公平に接するように変わっていたら、そわそわせずにじっくりとテレビを見ていたのではないかと思うのです。
いまだに生徒に対して、公平に接することができないからこそ、草壁のプレーを見続けることが憚れているのではないかと感じました。

そう考えると、久留米先生の先入観を持った接し方を変えるという安斎の目論見は、達成できなかったのかもしれません。
だたし、草壁自身の将来には大きな変化と明るい結果をもたらしたわけで、それだけでも安斎が必死で頑張って試みたことは、大変素晴らしいことだと思いました。

まとめ


伊坂さんの小説らしく、読みやすくてちょっぴり勇気をもらえる小説です。
彼の小説は読んだ後に、前向きな気分にさせてくれるますよね。
私が購入した「短編少年」には他の作家さんの短編も収録されているので、気になった方は読んでみると良いと思います。


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