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#いい推しの日 に寄せて

「ゆこちゃん、だいすきだよぉ」

彼のなかでは何かトリガーがあるのかもしれないけれど、傍から見ている分には、何の脈絡もなく「だいすき」が出てくる。

うちの可愛すぎる甥(2)は最近、ママに、パパに、おばであるゆこちゃんにまで、何でもないときにふと「だいすき」をくれる。

何でもない日の、不意打ちの、カジュアルな「だいすきだよ」が、実は一番届くのかもしれない、なんて言われる度にきゅんとしながら思ってしまう。


今日、11月4日は「いい推しの日」。

だいぶ前にTwitterで11月04日いい推しの日【公式】というアカウントの存在を発見していたわたしは、すかさずフォローしていた。

ここ何年かはずっとジャニーズの沼にいたわたしのなかには「自分の一番好きなあの人は『推し』なのか」という、推しと担当の違い問題がいつも頭をよぎっちゃうのだけれど、この話は長くなるのでまた今度。とにかく、『推し』にあたる人がずっといる人生を歩んできたから、気になって意識してきた日だったんだ。


お昼に起きて、日付を見て、 #いい推しの日 をTwitterで検索してびっくり。予想よりずっと多くの人が、それぞれの推しについての投稿をしていた。大抵のツイートはハッシュタグに追加して、「推し」の名前と、その画像。推しにリプライの形で直接愛を伝えていた人もいたし、魅力をたくさん書き連ねて推しを知らない人に向けた広報の機会にしている人もいた。

何にせよ、愛と熱量がすごいのよ。ねぇ、日本のどこにそんなに「好き」が隠されてたの?


今でこそリモートワークとかで毎日人に対面しなくても生きていける世の中になったけれど、毎日たくさんの人に会っていたときだって「〇〇のことがめちゃくちゃ好きなんです!」っていう人に会うことなんて相当レアだった。

だから恋煩いが人生の持病みたいなわたしは、好きが重くて生きるのがつらい日々に「自分は好きの熱量がおかしいな」と日常生活と上手に両立できない自分をだめだなって思っていた。コントロールできるようになろう、できないならあと〇年でやめようって決めていたこともあった。

なのに。

仲間いっぱいいるじゃんか。



今はもう、好きな人がいて、その人がいれば何でもできるなって思える自分がわたしなんだって思えるようになった。たぶん生涯そういう生き方しかできないから、やっと体質を受け止める覚悟ができたと言ってもいいのかもしれない。

「推し」がいない人たちに、「それだけ好きな人ってどうやってみつけるの?うらやましい!」と言われることもある。

「好き」って重たいと負担になるし、なぜか恥ずかしくて「例のあの人」みたいに名前が呼べない症状とかでるけれど、本来はそれだけ好きな人がいるってうらやましがられくらい素敵で、楽しくて、奇跡的なことじゃないですか。


今日は記念日の力を借りてみんながそれぞれの「推し」への思いを体の外に出したのかもしれないけれど、本当は、息を吐くのと同じ気軽さで「好き」って言えたらいい。相手を選ばず、「わたしの推しはこの人なの」って魅力を伝えられるようになったらいい。

そういう日常を望みながら、わたしは記念日が終わった明日からも、うちのちびちゃんと同じ気軽さで「つよしくんがすき」って言い続けようと思ってる。



わたしの推し(?) 担当である江田剛くんは、いい推しの日の前日・11月3日にソロの楽曲で配信デビューしたんですよ。一等好きな人の名前が音楽配信サイトの検索で出てきて、エンドレスで好きな人だけの歌声を聞いていられる世界がやってきました。泣く。

ここまで積み重ねてきた日々なんと20年。そんな彼だからこそ歌えるやさしくて強いオリジナル曲が、みんなの手にとってもらえるようになったこと。想像もはるか超えた未来を自分でつくった彼が、今のわたしの一番の自慢。


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