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年間500冊読んでいた読書数ががくんと減っていた当然の理由

プロフィール欄に「本は1日1冊まで」と書いているのはわたしです。自分にも人からも見えるところに置いておかないと、ついうっかり本を読んでいる間に一日を終えてしうのが常だったので。

そんな感じなので、ここ数年、年間で500冊とか600冊の本を読んでいたわたしですが、本との付き合い方に変化が起こっています。最近、1日1冊も読んでいません。平均すると週に2・3冊かな~というところ。まさかの!

なぜなら、「本を読まなくても良くなったから」と言えると思っています。

止まらない収集心を満たしてくれていた本の山

そもそもなぜにそんなに大量の本を読んできたのかといえば、わたしの特性に収集心っていう子がいまして、これの影響かと推察しています。

仕事で自然と使っている強みを診断できるツール・ストレングスファインダーが好きすぎるのですが、わたしの1位の特性がこの収集心でして。程度はわからないのだけれど、きっとぶっちぎりの1位に違いありません。本以外にも放っておいたらひたすらスマホで検索しながら過ごせるもん。情報収集好きすぎる。

ちなみに、ストレングスファインダーの話はこちらです▼


子どもの頃から自然と本が好きな子だったけれど、就職してからはあまりの忙しさにほとんど本を手に取ることもない数年間を過ごしました。その反動か、時間に余裕ができたら読書が止まらなくなったんです。

当時学校勤務していたのですが、ビジネス書なるものをはじめて読みだした時期で、手に取る本のすべてが新鮮で、知らないことばかりで、何を読んでも面白くってしょうがなかったんですよね。世界って、そういう風にできているんだ! 生まれたての赤ちゃんが周りの大人が使う言葉をぐんぐん吸収していくように、ビジネスパーソンにとっては当たり前であろう知識を一気に吸収していった時期でした。


本に書かれていることの多くが「うん、知ってる」に変化

そんな生活を数年続けていると、本を読んだ時の印象が変わってきます。多くの本に書かれている内容は「あ、これあの本でも書いてあったな」と感じるようになり、新鮮な驚きや新たな学びは減っていきました。

ちょうどその頃書いたのがこちらですね▼

これは社会の決まり事を何にも知らなかった教育沼出身のわたしにとっては喜ばしいことだったんです。学校以外の当たり前を知って、学校外の人と話す機会も増えました。教員以外の人とも同じ言語が使えている感覚がもてるようになった頃はうれしかったな。

同時に、知識の吸収が本からだけではなく、著者から直接学ぶようになったのも大きな変化です。当たり前だけど、学びが多いと感じる本って、その書き手からの方がより多くを学べるんですよね。本には書き手がいることを実感を伴って分かるようになって、著者イベントなどにたくさん参加していた時期でした。

その昔本の著者なんでわたしには雲の上の存在で、実在しているかどうかも考えたことがなかったように思います。実在しているかどうかなんて考えずに本を読んでいるんだから、百年前に偉人と呼ばれている人が書いた本と、昨日発売した存命の著者が書いている本の区別もない。本は本。すべて一緒くたにしていたな。

書いているような人人にも会いに行けること、直接学ぶことができること、場合によっては直接お話することも可能だって知れたのは、今のわたしにつながる大発見でした。


本を読まずとも、直接人から学べるようになった今

そして今。読書数がへっているのは、本を読まずとも直接人から教えていただける機会に恵まれているからに他ならないです。

収集心持ちのわたし、情報のなかでも特に欲しているのって、人の頭のなかみなんですよ。この人がこんな行動をするのはなぜなのか。こんなサービスを思いついたのはどんな経緯なのか。それを知れれば満たされます。

そして、人の頭の中身を知る機会としてわたしが今手に入れた機会が、インタビューであり、ライブです。

インタビューでは、年齢も立場も問わず、ありとあらゆる人に思いを思う存分聞かせていただける。中には著者の方もいて、発売した頃に興味をもって読んでいた本を書いた方に後に直接お話を伺えるという素敵すぎる機会も。役得がすぎる…

かなりの頻度で通っているアーティストのライブも、継続的に同じ人のステージを観ることで変化が分かるようになる。中には「同じ人のライブに何度も何度も通うなんて、一体何が楽しいの?」と思う方もいらっしゃることを知っています。なぜこんなセットリストを組んだのか。あの曲で、いつもとパフォーマンスを変えたのはなぜなのか。そういうことを感じ取って喜んでいるというのがわたしなりの答えです。

本を読むって自分のペースでいつでもできるし、十分に刺激的で楽しいけれど、対面で全身で人から直接浴びられる刺激にはどうやったって適いません。そもそも多読していた理由が「人の頭のなかみを知りたい」だったことは最近になって気付いたことだけれど、それが十分に満たされる環境にいるから、読書数はへっても当然。読書から得ていた刺激を、ほかから得られるようになりましたから。


読書数が減ったって、「物語を読むこと」はやめられない

自分を変えたければ、時間の使い方か、住む場所か、付き合う人を変えるといいという話。あれって要は、自分に入ってくる情報を変えればいいってことですよね。

少しずれるけれど、読書=人の頭の中身を知ることだったわたしにとって、情報源は必ずしも本じゃなくても良かったってことでしかないんですよね。だから、読書数がへっても問題ない。

人から話を聞くことって、わたしにとっては読書ととても近い行為。その人だけがもつストーリーを、わたし自身で読み解いていきたいんです。小学生の頃推理小説とか名探偵コナンにどハマりしてたのをインタビューのお仕事でしてるんだなって、今初めて気がついてびっくりしていますが……

何はともあれ、この先本を手にとることが0になる時期が来たとしても「人の物語を読むこと」だけは何かしらの手段で続けていく人生になるんだろうなと思うんです。これだけは生涯やめられないわ。

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