よいものには、すべて理由がある
昨日・一昨日と、種類の違うエンターテインメントを摂取して過ごした。どちらも隅々まで行き届いた良質なもので、たくさん浴びられて心が満たされた。
よいものにはやはり、すべて理由があるなとよく思う。
例えば建物なら、エントランスには何色の、どんなものを置くか。置かないという選択肢もある。出迎えはするのかしないのか。どんな表情で、どんな言葉をかけるのか。
コンサートなら、開演前の会場にはどんな音楽をかけておくのか。開演するときに、どんな合図で始まるのか。オープニングの音楽は? 照明は? 衣装は? 場合によっては匂いや温度をコントロールすることもできるはず。さぁどうする。
少し前に、X? Twitter? では、
という言葉がよく流れていた。いや、その通りだと思う。エンターテインメントも、表現するものは知性だし、お客様の目に触れないようにする部分には品性が表れる。同じメッセージを伝えるにしても、その伝え方に人間性が垣間見えるもの。そして「何かいいなぁ」と感じられるものには、そのすべてに作り手の意図が反映されている。
「何かよいなぁ」の裏には、数えきれない心配りがある。そのすべてが効果的に働いて、バランスがとれたときにわたしたちは素敵だなぁと感じている。作り手の意図を読み取れるようになりたいなと願うけれど、知ってしまったら最後、手品の種明かし後みたいに世界の見え方が変わってしまう。世界の秘密を知らないままで、ただ一人のお客さまでい続ける方が幸せかもしれない。どちらを選ぶかは、自分次第。
裏側まで全部知りたいわたしは、気づけばついつい世界の物語の裏側まで解き明かそうとしてしまう。だからインタビュアーの仕事がいつだって楽しくって仕方がないんだと思う。お話してくれる人はひとり残らずわたしの目からは見えない裏側を教えてくれるんだもん、最高ね。
今年は、良いものにできるだけたくさん触れられたらいいな。そして、その良さの裏側に仕掛けられている心配りを、一つでも読み取れる目と心を養って世界の豊かさを解き明かしていきたい。