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思い出の食事

あけましておめでとうございます。みなさまはどんな新年の朝を迎えましたか。みなさまにとって幸せな楽しい新年を迎えられたと思いますとつい言ってしまいますが、いつもの日常と違わない朝が迎えられたことも幸せですよね。そんな普通の朝を迎えた伊禮(いれい)です。


2019年末にわたしが所属しているチームの忘年会がありました。その会で発表して欲しいお題を事前にリクエストしていたのです。そのお題が「いままでで印象に残った食事」でした。わたしの趣味です。

それを思いついたのも大好きな「深夜食堂」をNetflix (ネットフリックス)で観ていたときという本当に「上司は思いつきでものを言う 橋本治流ビジネス書 (橋本治 (著) 集英社新書)」を地でいくやつです。すみません。

プレゼント交換が終わり忘年会が盛り上がったタイミングでみんなから今までで印象に残っている食事についての物語をお話してもらいました。初めて食べたしゃぶしゃぶの話、インドで食べたカップ麺がとてもおいしかった話、おばあちゃんのちゃわん蒸しなど面白い物語が聞けてとても楽しかった。

毎日する食事にはいろいろと人それぞれの思いが詰まっているんだな。食欲と思い出がセットになって脳に刻み込まれているのかもしれない。

わたしの思い出の食事は料理名はない。伊禮(いれい)家だけでしか食べたことがない料理だ。それはわたしが小学生に上がる前から食べていた料理のおはなし。

3年前に他界した父は手が器用だった。なので外車専用の部品屋、バッテリー屋(そんなのがあったのかと思うはずだが実際やっていた)、鍵屋、大工などを同時にやっていた。のちに社長の運転手などを経て港で働くことになるのだが、それはいずれ書く。

父の趣味は魚を捕ることだった。普通趣味には釣りとか書くけど「魚を捕ること」と書いたのは、釣りはもちろん網は打つしその魚の捕り方が量も含めてもう漁師だった。

バケツ何杯分も魚を捕るので自分の家では食べ切れる量ではない。必然的に近所にバケツに入った魚ごと配ることになった。今思えば突然夜から魚をもらった近所の家も迷惑だと思っていたかもしれない。父にかわって謝ります。ごめんなさい。

大漁だった夜はわたしの家も大変だった。まず大量の魚を捌かなければならない。それはいつも母の担当だった。人手が足りないので小学生になる前から見よう見まねで手伝っていた。気がついたらわたしもだいたいの魚は上手に捌けるようになっていた。

小ぶりの魚が多いときは素揚げにした。それはそれでおいしかったが、魚の素揚げにあきたとき、たまに作る料理だった。それは、父が畑から採ってきたカンダバー(沖縄の方言名 和名:かずら)を入れた味噌汁に素揚げの魚を豪快にぶっこんだやつ。魚汁なのだが、これがうまかった。

イメージしにくいと思うが、こってりとしたカンダバー入りの味噌汁に素揚げを入れることで味は濃厚に。魚にも噌汁がしみ込んでおいしかった。さらに、たまにホリデーマーガリンを少し味噌汁に入れていた。どんだけ油が足りていなかったんだよ。今思うと体に悪そうだけど体に悪そうな食事で悪魔的においしいものってありますよね。

沖縄のどの家庭にもあったホリデーマーガリンについては、みんなバターって言っていたなぁマーガリンって書いてるのに。新年早々ジャンクな庶民の味の話を書いてしまって申し訳ない。でもみなさんはおそらく新年でごちそうを食べているから、そんなときにカレーを食べたくなる現象のように少しはスパイスになってくれたらと勝手に思っている。なるかな。

そんな料理ってあるのかなと思って検索したけどやはり見つからなかった。検索の方法が悪くて探せなかった可能性もあるが。同じような料理を食べている人がいたら教えてほしい。お願いします。

1日3食と計算すると1年で1095食もすることになる。これくらいの回数の食事があれば思い出になるほど印象的な食事に出会うかもしれない。けど、自分が紹介した食事もおいしかったという思い出はあるけど味を細かく覚えているのかと言われたら自信がない。

思い出に残る食事というのは、そのときの気持ちや楽しかった思い出も一緒に味わっているのかもしれないな。それが記憶として残っている。なんてことを新年の朝から考えていました。そんな沖縄は良い天気です。

今年もみなさんにとって良い年になりますように。


あ、本文とは関係ありませんが、ちなみに今年の初読書はこちらです。UREEYYY!!

0101初読書


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