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心地よさの感度が上がることによるレジリエンスの低下

みなさん、こんにちは。今日はレジリエンスについて考えていきたいと思います。近年よく聞く「レジリエンス」という言葉。

レジリエンスとは、心理学の用語として知られ、以下のように定義されています。

社会的ディスアドバンテージや、己に不利な状況において、そういった状況に自身のライフタスクを対応させる個人の能力

端的にいうと、「逆境に耐えられる力」のように表現されることもあります。のように表現されることもあります。

今日はこの「レジリエンス」と「心地よさ」について述べていきたいと思います。

なぜかというと、現代社会は「心地よさの追求」が同義に近い形で語られることが多くあります。企業は、テクノロジーを駆使して、より快適に、より快楽を感じられるように、をビジョンと掲げて様々なサービスを開発・提供しています。快適さ、快楽さ、の追求がビジネスになり、あらゆるペイン(課題)を解決することが世の中のためと思い人間は日々活動しています。

それに関しては、なんの否定もありませんし、資本主義社会において、人々の利便性の追求から利益を得るというのは至極真っ当な行動です。私自身も新しい技術やサービスに触れることは大好きですし、文明が発展することは大歓迎です。

一方で、消費者の立場から考えると、快適に、快楽に、が当たり前になっています。テクノロジーが解決してくれて当たり前、サービスしてくれて当たり前、こんなことが気軽にできて当たり前。こんな毎日ですよね。

本当に便利な世の中です。

これらの現状から危惧することは、面倒なことは無視する、辛いことはやらなくてもいい、大変なことはやらない、といったことです。私自身も様々な困難なことに対して敬遠してしまうことはよくあります。

しかし、常時、快適さ、快楽さ、の環境下にいてしまうとレジリエンスは低下していきます。ちょっとでも不便なことでストレスを抱えて、苦しいことに耐えられなくなってしまいます。レジリエンスは、逆境下に身を置き、しんどい思いをすればするほど、自分の中で苦境に耐えるキャパシティが広がっていきますから、思考停止状態、快楽状態が続けば続くほど、耐える力はなくなっていきます。

少し前の社会であれば、世の中がまだまだ均一化しており、選択肢が限られていました。例えば、少し前であれば、就職したら3年は耐えなければいけない、などあったわけです(謎の文化ですが、やはり年功序列型システムだからこその考え方でしょう)。自分の価値観と企業の理念や働き方が合致していなくても無理が強いられていました。ある意味無条件である一定のレジリエンスは必要になっていたわけです。

一方、現代はというと、0ではないにしろ、数十年前に比べて圧倒的に便利さのレベルが上がっています。また社会全体も個人の個性に合わせてそれぞれが輝くことができ、生活することもできる世の中になりつつあります。そうすると、より自分の居心地の良い場所にしか身を置かなくなります。また、今後はよりその傾向が強まっていくことが想定されます。

この世界が実現すること自体は素晴らしいのですが、VUCA時代においていつ何時この社会構成が崩れるかわかりません。そうした時にレジリエンス力がなければ、変化に適応して生きていくことができないわけです。

もちろん精神面までの影響を及ぼすような負荷はかけるべきではありませんが、自己を成長させるためには一定の困難さや障害を自らに与え、それを乗り越えるためにもがく過程は必要なのではないかと考えています。

とはいえ、自らをあえて困難な環境下に身を置くような行動をすることにはパワーが必要です。そもそもやる必要がないわけですから。

このパワーをいかに自分の中で醸成し、自らを鼓舞できるか。また、その鼓舞できた回数に応じて周りとの差が生まれてくるのではないでしょうか。

少なくとも私自身は、心地よい道と困難な道があるならば、難しい方の選択をし続けられる人間でありたいなと思っています。




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