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【読書感想文】吃音である私が感じる吃音の生きづらさ

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 私は物心がついたときには、吃音の症状がありました。吃音とは、簡潔に言うと喋りたいことが頭にはあっても、それをスムーズに口に出すことができない症状です。一般的にはどもりとも言われます。私の場合は、特定の言葉が喉の奥につまって、声となって出てこなかったです。

 この本は、ノンフィクション作品です。吃音に悩ませれてきた様々な方のエピソードを中心に、吃音の生きづらさ、具体的にどのような問題が起こりうるか、どのような対処が考えられるか、などが描かれています。吃音が原因で仕事をやめてしまった人、吃音を障害と認めてもらったことで生きやすくなった人、吃音を苦に自殺してしまった人…吃音で本当に悩まされてきた私ですので、読んで共感と共に、(それ以上に)我が身のように心に刺さってきました。

 私の話です。小学校低学年から、少年サッカーを始めました。終わりの号令はキャプテンの仕事でしたが、初めの号令は順繰りで行うシステムでした。「気をつけ、礼、お願いします。」たったそれだけの言葉なのに、まず気をつけの「き」が喉の奥につまってなかなか発声できません。周りからしたら、それだけのことが言えない変なやつ、だったのでしょう。言えない自分がいやで、周りから笑われバカにされた時に、なんとも思ってないふりでへらへらしている自分がいやでした。号令が自分の順番にくることが本当に嫌で嫌でたまらなかったです。

 年齢が上がるとともに、吃音自体はまったく改善されていないのですが、うまくごまかす術を身に着けてきます。言いにくい言葉を別の言葉に言い換えたり、言いたいことがあっても、言いにくそうな言葉のときは口をつぐんだり、文のはじめに「あ、」をつけてリズムで話したりしていました。そういった状況の中で、一番困る場面は、言い換えのできない固有名詞や決められて文章を言わなければならないときです。

 中学校の卒業式、担任の先生が呼名をし、生徒が「はい」と返事をする、毎年見られる当たり前の光景です。「は」が喉につまって出てこない。卒業式の練習は本当に地獄でした。他の生徒は、リズムよく返事をし、卒業証書を受け取っていきます。私だけが、はい、とそれだけの言葉を言えず、壇上であー、えーとか言って、あたふたしているのです。ようやく「はい」と言えたときには、通常のリズムより大きく遅れています。中学生にもなれば、みんなの心も成長し、笑ったりする者は一人もいませんでした。私のことを心配し、「緊張しているの?」「落ち着いてやれば大丈夫だよ。」などと、声を掛けてくれます。優しさであることは百も承知の上で、それさえも嫌でした。緊張で声が出ないわけではない、分からないくせにわかったような口を聞くな、と他者の優しさを受け入れられないほど、吃音という症状に心身共に追い込まれていました。

 それ以降も、吃音に数多くの場面で悩ませれ、逃げられる場面ではたくさん話す場面を逃げてきました。大学入試でも、面接がない大学を選びました。そんな私が、なにを狂ったか、中学教員という夢をもってしまったのです。教員なんて仕事は、言い換えの聞かない言葉のオンパレードです。生徒ひとりひとりの名前、道徳の授業、入学式や卒業式の呼名…自分がなったって苦しい思いをするだけだ、それは分かった上で、それでも受けてみよう、そう決めました。

 教員採用試験の面接では、自分の名前を言うまでに数十秒かかりました。出だしで頭は真っ白になりながらも、懸命に答えた結果、教員採用試験に合格してしまいました。

 配属校が決まりました。1年の担任はしたくない、そう心から願っていました。入学式の呼名があるからです。そして、結果は1年生の担任、もうその日から数日後に控える入学式を思うと不安で心臓がバクバクしてきます。何度も呼名の練習をしました。実際に式を行う体育館に行き、少しでも場に慣れようと努めました。入学式の前日には、明日は仕事にいくことをやめてしまおうか、本気でそう思いました。そして当日、入学式本番、結果はボロボロ…最初の言葉が出るまでに妙に時間がかかる、名字の一文字目が出ずに、リズムをとるための「えー」や「あ、」がマイクで拡散される、それだけを考え、あれだけ練習したのにも関わらず…自分という存在が本当に情けなく感じられました。

 そんな私でしたが、今でも教員を続けています。吃音自体の恐怖と共に、吃音を通して周りが自分を見ることで、周りが私を取るに足らない人間だと評価することへの恐怖があるのだな、と気づいたからです。つまり自分はできる人間だと大きく見せてようすることが間違いであって、最初から自分が吃音であること、決められた言葉は上手に話すことができないことを、伝えてしまえばいいと考えました。
 そう気付かされた1つは、ある道徳の授業の時、実は音読することが苦手なんだよね、と生徒に伝えてみたところ、「じゃ、俺がよんであげるよ。」と言ってくれた生徒がいたことです。フッと心が楽になることを感じました。生徒に助けられた瞬間です。

 決められた言葉を喋ることができない、そんな私が教員として生きていくためにはどうあるべきか。それは誠実であり、誰に対しても寛容であることだと思いました。
 私は、上手に道徳の教科書を読むことができない。私は、式の呼名をスムーズに行うことができない。そんな私の代わりにやってもらわなければならない時がある。そんな私を許してもらわなければならないときがある。ではそのような存在であるためには、自分が一番誠実であり、寛容でなければならないな、と。

 幸いにも、私は待つこと、引いては誰かに寛容であることが比較的得意でした。吃音者として、急かされることはもちろんのこと、落ち着いてなどと助言されることも嫌だったのです。何も言わずただ待ってくれる、私にとってはそれが一番ありがたかったです。ですので、自分自身も待つということはできます。

 そんなことを考えながら、クラスを見てみると、どの年も気づくことがありました。それは、生徒の中にも吃音をもっている生徒が結構いるな、ということです。調べてみると100人に一人ほどの割合のようですが、体感としては1クラスに1人ほど、つまり30人に1人ほどの割合だと感じます。

 基本的に教員は、助言をしたがる方が多いです。(当たり前かもしれませんが…)吃音を抱えている生徒が求めていることは助言でないことは私が一番良くわかっています。ずっとコンプレックスだった私の体験は、そういった生徒にとって支えになることができるのではないか。

 今では、教員としてだいぶやりやすくなってきています。吃音であることは、教員仲間には先に言ってしまいます。生徒には、ある程度の信頼関係ができたところで、伝えます。私ができることは全力で取り組むので、できないところは許してほしい、と。

 自分の話を、長々と書いてしまいました。
 吃音という症状がパッと見は見えないように、それぞれの人のコンプレックスや悩みは見えないし、分からないです。分からないからこそ、分かりたいと願いますよね。人の痛みを分かろうとする人が大勢いれば、どんな人にとっても生きやすい社会になるのかな、なんてことを考えています。

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