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塾で働くようになるまで②

今回は中学時代の3年間をまとめていく。中学入学までの話は下記①をご覧ください。

pictureが書けない

滑り止めとして受験した中学校へ入学。一言で言うと入学した中学をなめていた。小学生時代、塾で難易度の高い学習をしていたので、学校は「簡単な勉強する場」だと勘違いもしていた。よって中学校入学後、予習や復習など一切しなかった。特に数学や英語は、計算問題、アルファベットの練習から始まるわけで、「こんなの楽勝でしょ」と思っていた。

最初の躓きは英語。
1学期中盤の単語テストでpictureが書けなかった。もちろん毎回不合格で再テスト

小学生の時に英会話をしていたこともあり、appleなどの簡単な単語いくつかは何となく書けていたが、そもそも単語のスペルを覚えるという習慣が全くなかった。覚えなきゃいけないと気付いてからも「ピー・アイ・シー・ティー・・・」という覚え方をしていた。もちろん、覚えられるわけがない。 

この単語を覚えるという努力を怠ったこと+やり方を間違ったことで英語は大きな出遅れとなった。

算数から数学への転換

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そして数学。小学生の時は算数が得意だったので、数学になってもできるという根拠のない自信があった。しかし定期テストの点数は最初こそ90点台だったが、以降10点ずつ下がり、2学期が終わる頃には50点ほどになっていた。

(3a+2b)-(4a-3b)のような文字式の計算すら安定感がなく、文章題が出てきても中学受験の時のような解き方で解けないのかを無駄に考えるなど、算数から数学への転換ができず苦しんでいた。2学期期末テストが終わった頃には今の子どもたちの言葉で言うと「詰んだ」状態になっており、自信も全くなくなっていた

逆転の冬期講習

そんな姿を見た母から言われたからか、自分で言ったのかは覚えていないが、中1の冬に小学生時代にお世話になった塾に冬期講習だけ通うこととになった。

短期間ではあったが、勉強のリズムが取り戻せたのはかなり大きかった。また塾の先生との会話で自分の姿というものを取り戻したのも大きい。

「この問題解けたのキミだけだよ」
「相変わらず計算早いね」
「この考え方はいいね」

そんな声かけをいただき、勉強への意欲が高まった。危機感はあっても、どうしていいかわからず前に進めない時、こんな言葉をかけてもらい前に進む勇気を与えてもらったわけだ。
自分にとって勉強というものは、一人だけでできるものではなく、支えがあってできるものだと感じた。(なので一人でできる人は尊敬します。)

そして定期テストは何をどう勉強したら点数が取れるのかを習得したのもこの時期である。毎日、授業の予習復習することをスタートし、1日1,2時間をコツコツ勉強していくリズムになった。テスト3週間前には学校の授業ノートから予想問題を作成し、それを解いていた。

学校自体は中高一貫校のため、中2までで中学生の学習が終了し、中3から高校の学習がスタートした。理科や社会は中学の時から高校の知識も教えてもらっていたと後になってから知った。覚えなければならないことはこまめに小テストをしてくれたので、コツコツ勉強するタイプに変貌した私にとっては本当に恵まれた環境だった。

部活と通学時間の使い方

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勉強以外のことで部活の話を少々。中学時代の部活は陸上部
400mや800mで試合に出ていた。100mだと遅いし、1500m以上だとスタミナが持たないということで間をとったわけだ。(先生が適正を見てくれた?)

練習は現代ではありえないスタイル。
400mダッシュ×10本(インターバル各1分)、水も自由に飲めないなど、よく倒れずに練習してたなと思う。

ただ都大会で国立競技場で走ることができたことはいい思い出である。

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あと通学には電車で40分ほどを要した。
行きの電車はジャンプやマガジンなど漫画雑誌、週刊プロレス、週刊Gallopなど中学生らしからぬ雑誌も読んでいた。今思うと、調子に乗ったやばい中学生である。休み時間には友達と交換して別の雑誌も読んでいたくらいなので、帰りの電車は暇であった。

そんな時、友人の勧めで赤川次郎さんの推理小説を読み始めた
本屋で推理小説の新刊が出るとすぐ購入し、1冊を数日で読んでいたので、年間で50冊位は読んでいたと思う。おそらく自分の人生の読書量は中学時代が一番だろう。今になって思うと、推理小説から自然と言葉を知り、読解力をつけていた気はしている。今でも東野圭吾さんの小説などはよく読んでいる。

次回は勉強以外でも色々あった高校時代を振り返る。

続き↓

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