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ロビンソン&アロニカ(2019)『Creative Schools 創造性が育つ世界最先端の教育』pert3

今日は、第4章<生まれながらの学習者>について。

途中、記述されていた

「全ての教育者がその学区の最高の保育施設を探して、
 そこでの教育を観察して学ぶべきです」
という言葉が、すごく印象的だった。

子どもは、本来好奇心旺盛で、自然と学んでいくということ、
そこから教育者は学ぶべきではないか
ということが書かれていて、なるほどと思った。
あまり私は、幼稚園、保育園というフィールドには
関わってきたことがないので、ぜひ見て学びたいなと思った。
最高の学びは聞くより見ることに限ると思うのだ。
日本で、ナチュラルラーニングに力を入れているところをぜひ探して見たい。
何か、情報をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

さて、続きではさまざまな実践例を上げながら
大事な点として2点あげていたのだが、

①すべての生徒に生まれつき素晴らしい能力がそなわっている事
②その能力を育成する秘訣は、学力主義や基準準拠による制約を脱却して、生徒一人一人の本当の能力に合わせた制度へと移行することであること

が挙げられていた。

今も、学校で強く感じるが、
生徒には力が備わっていると信じることは
教師の使命とも言えると思うが、
実際は、子供のせいにしたり、子供の能力を低く見てしまうことは
私自身の反省としてもよくある。
そして、「学力」や「できていないこと」に目が向いてしまって
どんどん子供達を縛る方向に向かってしまうことはないだろうか。
(特に、子供達が理想と異なる場合は多く当てはまるのではないだろうかと私は思う)
また、小テストを出してみたり、
どんどん子供の意欲を削ぐようなことをして
負のスパイラルに陥りつついないだろうか。

こんな時、
子供達に「自分の興味のあることや能力を模索する自由を生徒に与えると、
奇跡的なことが起きる」と
教師が発想を変え、視点を変え、子供達を信じて任せられるかどうかが
非常に大きなことではないかと思うのだ。

子供達が力を発揮できていないのは、
能力のせいではなく、環境、制度の問題だ。
私たちがもっと子供達の力を引き出すような設計を作ろう
と大きなビジョンで教育を見ることができるかどうかが、
非常に大きな分岐の境目にいるような気がするのである。
(これは、私の現状への反省でもある)

<一人ひとりの成長と成果を支える評価方法>という節もあったが、
私はこの問題はかなり根深いと感じている。
評価と成長が本来結びつくべきだが、
進路のための評価(数値)になっていたり、非常に難しい問題でもある。

<生まれながらの学習者>としての才能をいかにして引き出して行くのか。
中学校、高校と学齢が上がれば上がるほど、
幼少期の学ぶ姿から学ぶことが多いと思うし、
教育者はその都度立ち止まって、
どのように教育すべきなのか考えていかなければならないのだろう。
今、教育も過渡期なのだと強く感じる。

パーソナライズ化されつつある教育。
技術革新とともに、どこまで異年齢教育とか認められて行くんだろう。
制度設計が本当に難しいところや

以上、今週はどうもやる気がわかないのですが、、
(寒さのせいかなぁ)
少しだけ読み進められたので、読書備忘録でございました。

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