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親子国内留学ー9月の気づき(学校編)

2022年4月より、親子で国内留学中の私たちの記録。

9月は運動会。
小規模校での運動会は、早朝6時の花火で始まる!

地域の運動会を兼ねているということで、参加されるおじいさんやおばあさんたちに開催決行を知らせるための花火。先生と父親達は5時から待機しているそう。

外に出て耳を澄ませて6時になるのを待っていると、ドーンと聞こえてきた。あちこちの学校の花火のドーンという響きが連なって聞こえてくる。いやが応でも気分が盛り上がる!

今年も縮小して午前中開催のみ。それでも規模が小さいので十分に楽しめる内容だった。

普通に競技をすると一瞬で終わってしまう小規模校の運動会。なので一回一回子どもが自己紹介して意気込みをマイクで述べてから競技、というような流れだった。感覚的には保育園みたいなアットホーム感。

全校生徒20人程度でも、ちゃんと赤組・白組に分かれて応援合戦もあった。応援団はもちろん全員参加。こんなのも以前のマンモス校では、やりたくても選抜式だったなぁと思い出す。

選手宣誓、プログラムアナウンス、校歌の式、国旗掲揚、入場行進などなど、流れや形式はマンモス校同様。その一つ一つの仕事を高学年全員が分担して行う。

万国旗だってこの少人数のためにちゃんと飾ってある。空の青さとそこにたなびく国旗たち、美しく手入れされた芝生のグラウンド。緻密に引かれたトラックの線。手抜きは一切なし。先生達の愛情の結晶のようなこの舞台。子どもたちの為に本当にありがとうございますと頭の下がる想いだった。

学校教育という視点でみると、私が期待していたような小規模校ならではの授業での学びは結局なかった。先生たちも都市部のマンモス校から数年単位で赴任してくる公立学校の仕組みだから、40人学級でやっていた授業を3人相手にやっているだけ。板書も授業の流れも目新しさはない。なんなら都市部の先生たちの方が、授業を工夫したり研究しているかもしれない。授業のうまい、下手という教員の質は避けられない。

小規模校にあるのは、授業の質ではなくて、教員と人間らしく触れられる機会だった。例えると、昔の寺子屋の師と弟のような感じ。先生の哲学を受け継ぐとも言うのだろうか。感謝、継続、努力、挑戦。先生から日々個人的にかけてもらう言葉の数々から、子供は先生が対ひとりの人間として自分と向き合ってくれることを感じ取り、人生で大切なメッセージを受け取っているように思う。二十四の瞳のような、本当の信頼関係のなかで安心して心を開き通学している子ども達の姿は清い。

どの教員も、本来ならこういう形で子供と向き合いたかったんだろうと感じる。マンモス校で日々忙殺され、子どもを効率よく管理するために怒声をあげている教員の姿を思い出すと、悲しみさえ感じる。

体調を崩す教員、うつになる教員。公立校に未来を見出せず、私立校へ変わっていく教員。

小規模校を経験してほしい。
先生も生徒もみんな笑っている。
いじめもない。
モンペもない。
平和しかない。


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