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不思議な大人たちと夜の散歩〜親子のためのシホン論

先日、ささやかな同窓会を開きました。
大人は私含め6人+息子1人の小さな集まりです。
卒業以来の20年ぶりという友人もいて、けどみんなちっとも変わってなくて、懐かしい話もみんなの今も知ることができました。

私が通っていたのはJRお茶の水駅から歩いて5分のところにあったアート系の専門学校で、やっぱりちょっと変わった人が多い。
大学がつまらなくて中退した当時の私にとってはその雰囲気がとても心地よかった。
変わった人の集まりなので、卒業後に就職してサラリーマンをする人はほとんどいませんでした。
その日の集まりも、やっぱり少し変わった生き方をしてる人ばかり。
劇団をやってたり、フリーライターだったり、そんな大人たちに囲まれて、いっぱい可愛がってもらえて、息子も楽しそうにしていました。
大人がみんなサラリーマンてわけじゃないからさ。
色んな大人をみて育ってほしいものです。


自分のため“だけ”に生きられるほど、人は強くない。

私は毎年年賀状を書きます。
お世話になった先生へ、いつも会っている友人へ、もう何年も会っていない友人へも書きます。
年に一回、お正月の挨拶だけで繋がってる人とも縁を絶やさないようにしてきました。(そのおかげで、交流が再開した人もいます。)
それは私が寂しがり屋だからというのもありますが、なるべく孤独にならないために続けてきたことです。

孤独はとても危険なものだと思います。
ひとり自由気ままに楽しく生きられるのは、個の力が相当に強い一部の人だけではないでしょうか。
元気な時、自分が正しいと思える時はいいけれど、体調が優れなかったり、人から批判されたりすると、いつもは強い人間でもなかなかに堪えます。
けれど自分は一人ではないと思えれば、自暴自棄になることもないし、自分を大切にしてくれない環境から離れればいいだけだ、とも思える。
助けてもらうことを当て込んで付き合いをしているわけではありませんが、実際助けられたことも何度もあります。
私も誰かの助けになれていたらいいのだけど…。

私にとって、人との繋がりは財産です。
息子にも将来、こうして仲間たちに囲まれて楽しく生きていってほしい。
そのためにママが残してやれるもの、持たせてやれるものは、どれぐらいあるだろう。

子供に残したい財産 経済資本

個人の持つ社会学的資本は3つに分類されるそうです。

  • 経済資本

  • 社会資本

  • 文化資本 

なるほど、一つ一つ考えてみよう。

経済資本はざっくり言うと「お金」ですね。
お金はある方がいいに決まってます。
お金の何が素晴らしいかって、大体の問題が一瞬で解決できるところでしょうね。ストレスなく生活できる。
例えば、私は息子の父親である元夫と、別居中にいく度となく話し合いをしてきましたが、離婚については合意しているものの、養育費などの条件についてがかたまらない。
「あの時ああ言った」とか「そもそもこう言った」とか。
肝心の条件ではなく、感情のぶつけ合いで、お互いイライラして埒が明かない。
結局「弁護士から連絡するので!」と言って電話を切りました。
その後双方弁護士を挟んでやりとりをしたら、すんなり離婚協議書が完成。(あっさり)
この時弁護士費用として60万ほど支払いましたが、これはほんとに良かった。払った甲斐があった。
今は元夫とも関係は良好です……たぶん。

しかしお金があるなら万事OKかというと少し違うようで、
すぐに「お金カード」ばかり切っていると、問題解決のための筋力や体力が鍛えられなくなるように思います。
ストレス耐性もなくなっていきそうです。
あとは工夫をしなくなる。それによって新しい発見やひらめきの機会損失がうまれてしまう。
なかなかお金バンザイとはいかないなぁ。

勿論息子に残してやれたらいいけれど、
あるならあるで、ないならないで、悩んでも仕方がないので諦めます。

子供に残したい財産 文化資本

おそらく私が息子に残してやれそうなのは、この文化資本しかなさそうです。
教育にはお金がかかると言われる時代ですが、以前記事にも書いた通り、私はそうは思いません。
文化資本とはテストで点を取る能力のことではないからです。
テストで点を取るのも良いことです。
けどそれが目的になったらつまんないじゃん。
テストで点が取れない勉強はやる意味がないという人には文化資本もへったくれもないので読み飛ばしていただきたいのですが、
文化資本とは何かと一言でいうなら

ひとり遊びの感性

です。

誰も遊んでくんないなー、お金もないしなーという休日に、
一人でぷらっと散歩に出ても楽しめるか。
あるいは、
パチンコに行くかわりに図書館にいく、とか
辞書で新しい言葉を知って、へー!と満足する、とか
年寄りの長い話を楽しく聞ける、とか
そうやって一人でいくらでも楽しめる感性を指すのではないかと思います。
(偏屈じじいの相手は嫌ですけどね)

そしてこの文化資本の最も素晴らしい点は、

絶対に減らない
絶対に奪われない

これに尽きるでしょう。

増えれば増えるほど、楽しくなる。
日常に「へー!」が溢れてくる。
お金がなくたって、「へー!」があれば大丈夫。

子供に残したい財産 社会資本

お金や感性があればきっと楽しく生きていけるでしょう。
なくてもそれなりに。
けれどそれは、社会資本という人間にとって絶対に欠くことのできない足場を持っていて初めて成立することだと思います。
私がここでいう社会資本とは、ビジネスで使う“人脈”ではなく、もっと広くその人の人生にかかわる「仲間たち」を意味します。

私が学生だった90年代2000年代は、ヒルズ族に代表されるような自分だけをたのみにのし上がった人たちというのが脚光を浴びて、旧態依然とした社会に、己の知恵と才覚で風穴を開けていくのが成功のモデルとされていました。
そして、そういう時代に若者だった人たちが今は子育てをしてる訳なんですが、
子供に「はっきりと自分の意見を言う」ことを教えようと熱心な親御さんはよくいます。

あなたはどうしたいの?
それはなぜ?
きちんと言葉で説明して?

こんな感じです。

けれど考えてみてください。
今から20年前のモデルが、今から20年後も通用するでしょうか。
理屈ではなく、何となく、無理そうな感じしません?

これからの時代はおそらく、
自己主張ができるかはさほど重要ではなくなると、私は思います。

強い個がのし上がれるのは、平和な時代だからこそ出来たことであって、20年前より、今より、はるかに厳しい動乱の未来では、好かれるやつしか生き残れないと思います。
人を楽しませたり、助けてあげられる人間が求められる。

これからの時代は、お金で解決できないことが増えるでしょう。
お金で解決できたとしても、自分以外の人間が顔色悪く生きてる中で、自分だけ一人で上手い飯がモリモリ食える人というのはそういない。
自分まで食欲がなくなってくる、そんなものです。
そんな世の中では、一人でモリモリ食べるより、「二人でたべよう」といって分け合う人の方が生きやすくなる。
そんな人には人が集まってきますから(お金は集まらなくとも)、お金で解決できないことはだいたい解決できますし、お金がなくても案外生きて行ける。(そして案外楽しく)
そうなるとお金がないと生きていけない、少なくとも楽しく生きていけないというのは思い込みで、お金があるなしは全く関係ないんですね。
お金があっても、「あんたには米粒一つ売りたかないね」と言われたら、それでしまいですから。

金持であれ貧乏人であれ、社会の構成員が「ふんふーん♪」と機嫌よく暮らしているというのは、全ての人にとってとんでもなく大事なことです。
だからまず自己主張より、分け合うこと。
そのことの方を、私は息子に教えたい。

息子にピアノをさせると決めた時、元夫から「ピアノなんてみんなやってて目立たないから、雅楽の方がまだいいんじゃない?」と言われました。
目立つ目立たないで考えるのは、なんとも自己主張的だなぁと思います。
けれどピアノなら。
色んな人と一緒に演奏できる。
そこからお友達が増えたら、すごく嬉しいよね。

こんなふうに、私は社会資本が個人にとって最も必要だと考えているけれど、こればっかりは、息子に残してやれません。
自分の力で出て行って、人と仲良くならないと。

この大変な時代に巡り合ってしまった息子へ

大丈夫。
なんらか希望を持って生きてきたんだ、ご先祖様たちも。
希望と言っても大したものじゃなくていい

今日も健康に過ごす
お金がなくても工夫して
暇なら本でも借りてきて
週末に会う人がいる

それでいいんじゃないかな。


お読みいただきありがとうございました。


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