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劇団四季ライオンキング~チケットもらっちゃって、いんですかぁ!?

先日、あるところからのご厚意で、劇団四季ミュージカル「ライオンキング」のチケットをいただきました。
え!いいの?うれしい!
3歳以上から観劇できるそうなので、4歳の息子でも少し安心。
「動物がいっぱいでてくるよ!」と言うと、息子もワクワクしてきたようでした。
私は久しぶりの劇団四季。キャッツとオペラ座の怪人、以来です。

25周年だそうです。

当日、早めに行動して有明の四季劇場へ。
「ライオンキング」だからなのか、土曜日だからなのか、とにかく親子連れが多かった。
客席についた後も、

(ままぁ!おしっこ!)
(ままぁ!靴脱げないよー!)
(ままぁ!お兄ちゃんがいじわるする!)

などそこかしこでキッズが賑やかです。
うちの息子も含めて、子供たち座ってられるのかな、、とハラハラしていましたが、有明劇場では客席の一番後ろにガラス張りの親子観覧席が設けられていて、お喋りしちゃったり動いちゃう子供は親子でそちらに移動できるとか。(なんという配慮)

しかしそこはさすが劇団四季。
開演時間ちょうどに幕が上がるや、例の雄叫びを合図に、客席の脇、後ろから、動物たちがぞくぞく現れて一瞬にして子供たちは釘付けに。
息を呑むとはまさにこの事だ、すごい!
物語が滑り出しました。

幸せな子供時代、冒険、偉大な父、裏切り、父の死、追放、仲間との出会い、成長、敵討ち、そして父を超えていく

普遍性をこれでもかと盛り込んだ物語を大切に大切にした演出は見事としか言いようがありません。
物語を何より至上のものとして、それを繰り出す歌、踊り、役者の身体も声も、全てが舞台装置なのか。
大人も子供も目だけになって、わぁ!とか、きゃあ!とか、心の歓声を上げる。
みんなで仲良く揺れる。
サバンナで吹かれる草になる。
舞台にも客席にも人間はおらず、
動物たちの命があっちでもこっちでも輝いて、、、

つまり良かったんです、とても。

演劇というと、観客の協力を必要とするものや観客の力を試すようなものも少なくない中、
四季の演劇は物語に感動したい気持ちだけ持っていけばいい。
これが長く愛される理由でしょうか。

はぁ、いいなぁ、今日はいい日だと感嘆しながらも、私はある一つのインタビューを思い出していました。

20年ほど昔、何かの本で演出家浅利慶太のインタビューを読んだ事がありました。劇団四季ではキャストを公演の直前にしか発表しないというのは有名ですが、これは浅利慶太が「スター主義の興行」を嫌ったためと言われています。
稽古では役者たちに、寸分違わず指示通りに演技するよう徹底していたとか。
それについてインタビュアーに問われた浅利慶太は、

ーー個性とはどのようなものですか?

役者を型にはめて、叩いて叩いて、それでもどうしても伸びてきてしまうもの、それが個性です
徹底して型にはめてもなお、最後のところで香ってしまうその人の香りのようなもの
伸び放題の雑草は個性ではない

ーー潰れたらそれまで?

うちに無個性な団員はいない

このような内容だったと思います。
「努力ができる事が才能」だとも語っていました。

当時まだ学生だった私はこの話に深く感動してしまいました。
逆境の中、何度かこの言葉を思い出して歯を食いしばったこともあります。
そうか、誰も見つけてくれないような時でも、私が最後まで粘れればいいのか。
自分を抽出させたものが、最後に香るに賭けて。

そして息子を一人育てる今、改めてこの事を考えてみるのです。
無論子育てに正解はありませんが、
例えば私が息子の個性を大切にするあまりにゆらゆらと伸びた芽が、どこかに少し障るだけで、軌道を変えてしまったとして、それは個性と呼べるのか。
個性だったとして、それは強い個性と呼べるのか。

正直に言えば、楽しく生きるのに個性はいらないと思います。
それよりは人と協力するとか、弱い人を助けてあげるだとか、そういった姿勢の方が、楽しく健やかに生きるには必要なんじゃないかと思います。
わざわざ個性と名付けて呼ぶ必要もなく、私たちは違うのだし。
ゆらゆらと伸びていく芽はどのようにも姿を変えていけばいいし、必要がなければ切ったっていいわけです。そのほうがいいわけです。

でもそれでも、わかっちゃいるのに、人間にはどうにもならないものがあることも、誰もが認める真実です。
こんな自分でなけりゃもっと上手いことやれるのに。
ここにいれば笑えるはずだったのに。
わかっちゃいるのに、なぜできない。

なんで自分はこうでしか生きられないのかと眠れない夜、その人の横にままならぬもう一人の自分が太々しく寝そべっているかもしれません。
「俺とお前は一蓮托生。俺と手を切るか。世界と手を切るか。俺はどっちでもいいんだぜ?」
ここまで太々しいのですから、強いに決まってます。

けれど眠れぬ夜が明ける頃、「そうか、これが自分なのか」と半ば諦め、半ば覚悟し起き上がれるなら、強い個性の発光がきっと見られるでしょう。

浅利慶太のように個性とはどんなものですかと聞かれたら
(聞かれないけど笑)
私はこう答えよう。

個性とは、連れていくと決めたもう一人の自分

だと。



実は今回の「ライオンキング」、息子と私は半分しか観られませんでした。
息子が途中で怖くなってしまったからです。
シンバの父ムファサが弟スカーに崖の上から突き落とされ、ヌーの大群の中で命を落とすシーンで怖くなってしまったようで、シンバが横たわる父の亡骸に顔を伏せるところでとうとう泣き出してしまいました。
すぐに会場を出て親子観覧席に行こうとしたのですが、「もうみない。もうかえる。」と言ってしゃがみ込んでしまったので、帰ることにしました。

そうだよね、怖いよね。悲しいよね。
それだけこの物語に魅了されていたんだね。

帰りのバスに揺られながら、この子がこの先何事もなく朗らかに笑っていられればいいなと思いました。
でもきっとそれだけでは済まないだろうな、とも。

誰かが君をぎゅうぎゅうに押し込めようとする時
誰かが君を通り過ぎようとする時

息子よ、

これが俺だと叩きつけてやれ

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