電話
―――あー、ごめん、遅くに。今大丈夫だった?
「ん、大丈夫だけど、どうしたの?」
―――や、大した用じゃないんだけどさ。
「うん」
―――あ、いや、そういう風に言うと逆に大した用みたいになっちゃうんだけど。
「思ってないよ」
―――あー……っと。最近、どう? 元気?
「……元気だけど?」
―――そっか。うん。良かった。仕事の方は?
「まあ、ぼちぼち? 何とか食っていけてるよ」
―――…………そっか。
「……それだけ?」
―――えっ? あ、いやいやいや、もちろんそれだけじゃなくて、えーっと……。
「なんなの? お金なら、あいにく持ち合わせは」
―――私、結婚するんだ。
「……え?」
―――結婚する。
「あー……うん、そっか」
―――……や、ほら、ゆーても私たちいい歳だし、お母さんも『早く良い人見つけなさい』ってもう毎日のように言ってきて、そこにたまたま良いご縁があったっていうか、自分でもびっくりするぐらいうまく話が進んで!
「なんの言い訳?」
―――……ああ、うん。
「や、まあ、うーん。なるほど」
―――ほら、私たちも一応さ、一時期、その……そういう関係だったから。
「若気の至りってやつでね」
―――はぁ? 今でもピチピチなんだが?
「さっき自分で『いい歳』っつってたろーが。あと、ピチピチって言葉がなんかもう若くない」
―――小うるせぇ~。
「まあ、だから報告って訳ね、何年かぶりの電話で」
―――時が経つのは早いもんだねぇ。
「なんだよ、それ」
―――……まだ、続けてるんだよね。絵。
「その言い方だとなんか画家みたいだけど。まあ、続けてるよ。それなりに、仕事も貰えてる」
―――そっか。凄いね。
「いや、別に……これしかなかっただけだから。それに、運も良かった」
―――運?
「ほら、今は、ネットだったりSNSだったり、色々仕事に繋げられるからさ。しがないフリーのイラストレーターでも、なんとか生きていける時代になったって訳」
―――時代かぁ。
「そっちは? 仕事」
―――ん? まあ、別にこれということもなく。ただの事務職だしね。
「ってか、こうなると続けるかどうかって話にもなるのか」
―――あー、う-ん、どうだろ。あんまり考えてないけど。
「うん」
―――でも、多分辞めるんじゃないかな。明日にもって訳じゃないけど。何が何でも続けたい仕事でもないし、彼の収入もそこそこあるし。
「……そっか」
―――晴れて寿退社。一抜けぴっぴって感じだよね。
「羨ましい限りで」
―――…………羨ましい。
「ん?」
―――や、ほら、さ。私、4年で大学出て、新卒で働いて、まあ結婚はちょっぴり遅いかもだけど、それでもまだ20代だし、すごくこう、王道というか、順風満帆な人生だなぁーって思って。
「自慢?」
―――ああ、いやごめん、そうじゃなくて。なんか回りくどくなっちゃうな……。
「?」
―――えっと、この前、彼とお芝居見に行ったんだ。テキトーに選んだ割にはかなりアタリでさ。ちょっと泣いちゃったりして。終わってから、近くのスタバ行って、コーヒー飲みながら二人で感想言いあってさ。で、ふと思ったの。あ、私この先もう二度と、舞台に立たないんだ……って。
「そんなの、別にいつからだって出来るでしょ」
―――そう思う。でも、分かるんだよね。ああ、もう私はお芝居しないんだなって。なんかこう、いっそ他人事みたいに。
「……そっか」
―――だからさ、ずっと頑張ってきたものが……私は高校からしか知らないけど、自分のやりたいことを今でも続けてるユウが、羨ましいなって。
「…………」
―――あー、いや、こんな話するつもりじゃなかったんだけど。
「……したくなかったの?」
―――ん?
「結婚。したくなかった?」
―――いや、うーん……。どうかな。
「なんだよ、歯切れ悪いな」
―――結婚自体に、特別な憧れがある訳じゃないんだけど。でも、あの人と一緒にいるのは……うん、悪くない。
「……どんな人なの?」
―――うーん、なんだろ。別にめちゃくちゃイケメンとか、話が面白いとか、お金持ってるとか、じゃないんだけど。こう、一緒にいると落ち着くっていうか……いや、月並みだな……。
「別に良いけど」
―――私が、私としてここにいることを、許してくれる……感じ……?
「言わんとしてることは、なんとなく」
―――ああ、そう、なんとなく雰囲気が昔の……あ、いや。
「ん?」
―――ううん、なんでも。だから、良い人に巡り合えたっていうのは確かだし、それでもいいかなぁー、とは思うんだよね。
「ふーん。……じゃあ、良いじゃん。良いことだよ」
―――そっか。うん、そうだね。
「そうだよ」
―――…………。
「ユリさぁ」
―――ん?
「あたしが、今までずっと絵を続けてこれたの、あなたのおかげだから」
―――……え?
「高校の頃さ、私のノートの落書きを見て『上手だね』って言ってくれたの。あなたが。だから、私は今でも絵を描くことが出来る」
―――…………。
「それだけ、忘れないで」
―――…………分かった。
「…………」
―――あー、ごめんね。もう遅いのに。
「良いよ別に、こちとらニートと変わらない生活送ってるから」
―――羨ましい限りで。
「なんなら、あなたも始めてみる? 自堕落なフリーランス生活」
―――それは遠慮しとこうかなぁー。
「左様ですか」
―――……ありがとう。おやすみ。
「うん。……いや、あ、ごめんちょっと待って」
―――ん?
「いや、そのさ……」
―――うん。
「結婚、おめでとう。言ってなかったから」
―――ああ……うん。ありがとう、ユウカ。おやすみ。
「おやすみ、ユリ」
「……なんだよ。やっぱ大した用だったじゃん」
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