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杉原千畝について

今日は国連の定める「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」です。

ホロコーストとは、ナチス政権とその協力者による約600万人のユダヤ人の組織的、官僚的、国家的な迫害および殺戮を意味します。

杉原 千畝
(すぎはら ちうね、1900年〈明治33年〉1月1日 - 1986年〈昭和61年〉7月31日)は、日本の外交官。

杉原 千畝


第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くがユダヤ人系であった。

なぜ、千畝は行動を起こしたのか? 

「首になっても構わない、人道上拒否できない」

ナチスによるユダヤ人迫害は激しさを増し、ドイツ勢力が広がるにつれてユダヤ避難民は激増してきましたが、彼らの受け入れ先はほとんど無くなっていました。千畝にある決断を迫られる出来事が起こります。ポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ避難民が、閉鎖間際の日本領事館に通過ビザを求めて大勢殺到しました。緊迫した中、本省と連絡を取り合う千畝。苦悩の末、「発給要件を満たさぬ者へのビザ発給はならぬ」という本省の命令に背き、命の危機が迫るユダヤ人に対し、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、条件をつけずにすべてのユダヤ人に対し、ビザを発給する決心をしました。

命のヴィザ

杉原千畝氏の英雄譚は、人道、人助け、他者への思いやりの素晴らしい手本であり、ロールモデルです。彼のおかげでホロコーストを生き延びた何千人ものユダヤ人が救われたことに対してふさわしく、またあるべき敬意を表す、祝福された行為です。
杉原の名を冠した通りなどはイスラエル国内に複数存在するが、エルサレムでは最近、杉原千畝にちなみ、広場を「チウネ・スギハラ広場」と命名、記念式典を開き顕彰した。

エルサレムで開かれた記念式典で、看板の除幕をするレオン市長と杉原伸生さんら


今日、54%世界におけるホロコーストの認知度です世界中で反ユダヤ主義が急増している中、ホロコースト否定派はその危険なメッセージを広め続けています。

反ユダヤ主義と闘いましょう。


http://www.sugihara-museum.jp/

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