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絵本の誕生、“遊びと学び” - 【識字率世界一:その7】

絵入り図鑑の誕生


世界初の子ども絵本はチェコ共和国で生まれた『世界図絵』と言われており、1658年に刊行されたと言われています。

書名の通り、一枚の絵に多くの事ものを書き込んで一つの世界を表現した教科書で「神」から「最後の審判」までの150図に説明を加えたものだったそうです。

実は、ほぼ同じ頃、日本にも独自の子ども絵本が誕生していました。1666年に京都で出版された中村惕斎という人が書いた『訓蒙図彙(きんもうずい)』です。

図鑑

これは日本最初の図入り百科事典で、1巻の「天文」から20巻「花草」までの20巻の中に128項目の事物を描き、それぞれの名称を示したものでした。

『世界図絵』がマクロ的な事物を図示したのに対して、『訓蒙図彙』はミクロ的な視点で個々の事物をクローズアップして図解した点が大きな違いでした。

『訓蒙図彙』には、読み書き学習にはまず事物の名称を学んで、その形状を知る必要があり、そのためには図解が最も合理的であるという明快な教育理念があったようです。


学びの入り口として活用された絵本

江戸中期の漢詩人が残した文章の中で、絵本の教育効果を次のように述べている箇所がありました。

どんな物でも絵のある本を与えておくと、子どもの習性で、必ず絵解きを求めてくる。その時に、例えば「二十四孝」の絵本から見せて「これは舜という聖人で、これは象という動物・・・」というように言い聞かせるのである。
我が家では、どの子もこのようにして教えている。今年6歳になる子どもがいるが、甘やかして育ててしまい、叱る事もなく、これまで何一つ教える事もなかったが、上述のように、絵入り本の中で育てた結果、いつの間にか二十四孝子の名前やその事跡をほとんど覚え、『訓蒙図彙』の鳥獣なども周囲の物が指差して質問すると、いちいちその名をあげて答えるようになった。
この子にはまだ素読を指導したことはないが、他人が読書するのをみて、「自分も読書する」といってきた際に少しずつ教えているうちに、右の通りになった。
昔の賢人たちが説く正式な教育法ではないが、以上は自分が試して間違いのないところを記したものである。結局大切なことは子どものうちから書物に慣れさせ、書物を嫌わず、それを好きになるような心を養い育てることであろう。

子どもの好奇心や疑問こそ学習のチャンスだと言っており、まずは「弄ばせて親しませる」ことを重視していたことがわかる一文です。

このように江戸中期から絵本の教育的活用が積極的に説かれるようになっていきましたが、元々子どものための絵本や絵入り本は江戸前期から数多く出版されていたようです。

女訓書では『訓蒙図彙』の登場前後から、また往来物も江戸初期から絵入り本が増え始めました。これらは『訓蒙図彙』の影響が大きかったとみられ、語句と挿絵を対比させたものも多いのが特徴でした。

『訓蒙図彙』は、子どもの思考によらず、対象を直接的に理解する直感教授の重要性を世に訴え、絵解き出版物の普及に大きく貢献しました。


民間で考案された学習教材「いろは板」

ある調査では、寺子屋で「いろは」の教授を受けなかった子どもは約24%いたそうです。一方で、これらの子どもは寺子屋入学前に学習済みだったとみられています。

庶民家庭における読み書き教育の実態を示す資料は乏しいのですが、1779年に出版されたものに「いろは板」という文字カードの記事が出てきます。

「いろは板」は幼児のもてあそびにもなり、教育にも役立つというので、ある人が発明したものである。
「いろは板」を毎日の食事の時や遊戯の時間に、カード表の平仮名いろはを覚えさせ、その後、裏の片仮名を覚えさせるが良い。さらに、父母の名前や家の名前を並べて覚えさせよ。
こうして数字の名称や方角・十干十二支、また天地・人倫・器財・草木の名称や『千字文』などを覚えていけば、わずかの努力でも、毎日一字を積んで1年で360字に及ぶ功をなし道しるべにもなるだろう。

庶民に普及させる教育方法は高尚な理論よりも、簡易でわかりやすく、誰でも簡単に実践できることが重要で、「いろは板」はこれらの条件を満たすものであり、一人でも二人でも、使い方や遊び方が工夫できる点で優れているように思われます。

ちなみに「モンテッソーリ教育」で有名なモンテッソーリは、子どもには「歩行」「読み書き」など特定の能力をみずから選び、その能力を楽しんで遊ぶ「敏感期」があり、この時期に文字カードを使った学習法が効果的だと主張しています。

「いろは板」にはこのように体系的な教育理論はみられませんが、彼女が生まれる約100年前、18世紀後半の日本の庶民家庭でこのような文字教育が行われていた事実は注目に値することだと感じます。

なお同種の文字カードは、障害児教育でも使われていたそうです。幕末に、江戸京橋の寺子屋「月松堂」では、一人の盲目の子どもに文字を教えるために、手習いで書き損じた反古を糊で貼り合わせて板紙を作り、それに砥石の粉と漆を練り混ぜて凸字の「いろは」を書いた文字カードで教えていたという記録が残っています。


まとめ

今回は、日本の強みでもある『視覚的価値』の教育面での誕生にフォーカスして調べを進めてみました。

日本のお家芸である漫画は浮世絵に文字の注釈が付いたところから始まったなんていう説が有力視されていますが、教育面での効果が高いがゆえに一般大衆に広まったという説もありそうだなと今回の調査を通して感じました。

図鑑2

・読み書き学習にはまず事物の名称を学んで、その形状を知る必要があり、そのためには図解が最も合理的である
・子どもの思考によらず、対象を直接的に理解する直感教授の重要性

江戸時代にはこうした、実際に試してみて効果のあったものをピックアップすると共にアウトプットして世に広める、というのが得意な社会だったんだなとつくづく感じます。

また、いろは板の例でも、まずこの教育効果が高いこと発見できた経緯、それが一般大衆に広まったプロセスなど興味深い点が多々あります。

今まで調べてみたもののエッセンスを抽象化すると、

『観察』→『発見』→『体系化』→『アウトプット』→『伝搬・真似してみる』→最初に戻る

江戸時代はこのプロセスを繰り返すことに長けており、結果として様々な分野での知識レベルが高かったのではないかと思います。

社会全体でこのプロセスを回すことが“普通”になるためにはどうすればいいか、今後考えていきたいと思います。

今日はこの辺で。

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