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寺子屋での競争の仕掛け - 【識字率世界一:その10】


寺子屋での競争

寺子たちは与えられた手本を何度も練習した後、ほぼ定期的に清書を提出する義務を負っており、師匠の合否判定を得ると次の学習単元に進むスタイルが一般的だったそうです。

この際の合格判定を「上げ」といい、数日間ないし1週間に一度の割合で行われたと言われています。

成績の良いものは一回でパスするためどんどん先へ進みますが、出来が悪いとなかなか「上げ」をもらえず、何度も同じ所を練習したため、その進度には著しい差がつきました。

半年ないし一年も練習すれば、大抵は手習本一冊をマスターすることになり、その終了時には『浚い(浚え)』と呼ばれる試験が実施されました。手習本一冊ごとの小試験を『小浚い』、年に一、二回の大試験を『大浚い』と呼んで区別する場合もありました。

何れにしても『浚い』は既習の全てが出題範囲となり、試験の際には手本がない状態で、全文を暗唱して書かなくてはならず、文字数で言えば4、500字から2,000字に及ぶ場合もあり、5日間程度で試験が行われていたそうです。

浚い


成績発表会『席書』

『席書』とは一種の成績発表会で、師匠も寺子も正装し、縁側の戸板も外して、父兄や通行人が自由に参観できるようにするのが一般的でした。

通常は一年に2回(4、8月)行われ、概ね午前8時ごろに始めて午後2、3時ごろにすませる場合が多かったようですが、中には夜10時ごろまで続くこともあったそうです。

師匠の前に寺子が順番に呼び出され、手本を見ずに清書をし、成績をつけてもらって壁に貼っていく。ときには席書の2週間ほど前から一人ずつ席書用の手本が与えられて特別に練習をさせておく場合もあったと言われています。

席書は、日頃の練習成果を披露する催し物でしたが、同時に師匠の指導力や手腕を公表する機会でもあったため、師匠も寺子も一生懸命に取り組んでいました。


父兄・地域の人々、みんなが参加する席書

席書で興味深いのは、父兄や来賓が気軽に参加できる雰囲気があったことです。

例えば「席書の文鎮になる母の指」という川柳が残されているのですが、寺子が字を書く際に母親がそばについていた様子が窺われますし、実際に招待された来賓が席書の用紙を広げたり、成績のついた作品に寺子の氏名・年齢を書き加えるなどして手伝うこともあったそうです。

大きな寺子屋では、寺院の本堂を借り切り、来賓を多数招いて大々的に行なうところもありました。そうした所では、大勢の人がやって来るのを当て込んで付近一帯に露店が立ち並び、さながら縁日のようだったと言われています。

ひと通り終わると、師家で出された赤飯やご馳走を父兄を交えて食べたり、付近の名所に出かけたりして楽しみました。寺子を連れて戸外に出るのは、寺子屋の繁栄ぶりを誇示する一種の宣伝効果もあり、ときにはお祭り騒ぎに近い場合もあったそうです。

寺子屋2


寺子屋内での人間関係

寺子屋ではこうした『浚い』以外にも様々な方法で子どもの競争心を煽って学習を促した例がありました。

このような競争が高じて父兄関係に影響することもあったと言われています。東北地方のある寺子屋では、東西二組に分けて習字の腕を競い、負けた寺子の親は勝った寺子の親と数ヶ月も口をきかなかったという話も残されています。

同一の寺子屋内での先輩・後輩の関係は一般に良好なところが多く、お互い親切だった場合が圧倒的に多いと言われています。一方で、他の寺子屋に対する対抗意識は極めて強く、寺子屋間での喧嘩は絶えなかったそうです。

そこで、このライバル意識を学業に振り向けた手習師匠も多く、寺子屋対抗の読み書き試合なども行われていました。例えば寺子屋が密集する地域では、毎年1、2回、役所前などの広場に寺子を集めて文字の読解競争を行なったと言われています。

寺子屋に「受験」はありませんでした。ですが、学習面での競争は少なからずあったようです。


寺子屋における競争心を煽る仕掛け

『軍日(いくさび)』
源平2組に分け、旗や幕を作って机上に立て、木の葉に単語や熟語を書いて、その読みをどれだけ正しく読めるか競わせた。下級生から上級生まで順次競い、読めない者は相手に旗や幕を渡し、その数によって勝敗を決めた。

『字明かし』
約10日おきに行なった小テストで、寺子が相互に習った文字を問答し、覚えている字と忘れている字の数を記して師匠に報告させた。

『問答』
同程度の寺子2人ずつ師匠の前に呼び出し、互いに知っている文字を書き合って相撲のように勝負した。勝者には帳面に勝ち力士の絵柄の判を押した。その勝敗の数で成績を競った。

『角力描き(すもうかき)』
寺子を東西に分けて、当番が行司となって、文字を競って書かせ、師匠の判定で勝負を決めた。

『一字書き』
同程度の学力の者で組みを作り、抽選で順番を決め、手本や格言・名句等につき、1番に当たったものが随意の箇所から一字を選んで書くと、それに続く字を次々書いていく。このようにして全ての者が最初の一字を選ぶことが一巡した後に、師匠が評点をつけ、最高の者がその作品を獲得した。

『数習い』
いっせいに紙を並べ、墨を擦り、線香2〜3本が燃え尽きる間に懸命に習字を行い、その数がもっとも多かった者を勝ちとした。乱書は減点された。

『番付』
成績順の番付表で席次を決めたり、筆や手本の種類に階級を定めた。


まとめ

今回は寺子屋内での競争にフォーカスして纏めていきました。

まず、最初の印象がそれぞれの子どもによって学習スピードが違ったという点、今日の公文式と同じだなと。おそらく、日本独自の教育方法を体系化し、現在では世界中で実践されている公文式が出来上がったのでしょう。

やはり世界で通用するサービスを発想する上でのヒントは色々な所にありそうだなと思いました。

また、テストや成績発表会に親や地域の人々が参加するスタイルは非常に面白いと思います。

勝手な印象ですが、それほどに子どもに対する教育に大人たちも関心を抱いていて、『子どもこそが未来であり宝である』といった共通認識が確立されていたのかな、なんて思ったりしました。

最後に、”競争”や”東西に分けて番付”的なものが日本人は非常に好きだなと感じました。いわゆる格付けというやつでしょうか。相撲の番付表なども東西に分けて記載するスタイルですし。

こうした『格付け』や『ライバル関係』みたいなものの独自性を抽出してビジネス的な仕掛けを考えてみるのも面白そうだと思いました。

今日はこの辺で。

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