お籠もり習慣作ってる?フリーランスだからこそ自分と向き合う時間を作る理由
突然ですが皆さま、お籠もりってやってます?
フリーランスともなるとタスクをはじめ、時間割というものを自分で作る必要があるわけですが、これは毎日やります。
そういえばコンサルを受けてる間、日報を書くのが本当に苦痛でした。それもいい思い出です。
毎日はもちろん、毎週。毎月。年間。
そうやって計画を立てては実行します。
そしてずれたら修正して、進みすぎたら組み直します。
今日は事業計画ではなくて、どちらかというと「どう生きるか」を考えることについて。
さぁ、新しいことを始めようと思っているのでしたら、こういうことをやるのもいいものです。
思考をフラットに整える、薫り高いパプアニューギニアなんていかがでしょうか。
では、いきます。
「お籠もり」って必要?
私がフリーランスをスタートしたのはバイマ(物販)から。だったのですが、正直これだけをやっている分にはお籠もりほどの時間は必要ないように思います。
もちろん、今後の進むべき道について考える時間は取った方がいいと思いますが、宿泊してまでする必要はないでしょうね。それだったらもっと感性を磨くことに時間を使った方がいい。
例えばブランドショップや美術館、美しいものに触れて雑誌を沢山読んで、そういったデザイナーや造り手の思いを知ったりすることに時間を費やした方が、その分野では結果が出ると思います。
お籠もりを初めてやった時も、実は「これ必要かな?」と思っていました。
2時間もあればいいかな。それだったらあの作業したいし、この作業も出来たのに。
…
これがですね、必要だとリアルに感じる時がやってきました。
それが、自分で自分のキャリアを作ろうと思ってから。
正直言いますと、「バイマ辞めてもいいかなー」と思ってからです。
「辞めてもいいかな」というか、正直あんまり考えないでやっても生活の固定費ぐらいは稼げていたから、「あぁ、やっと辞めれるな」という感じ。
そして「さぁ何してやろうかな」という感じ。
お金を稼ぐのは必要だし、とても大事なことですが、「お金を稼ぐためにやってる感」がどうしても否めなかったんでしょうね。
じゃあそれなりにお金を稼いだ、その先は?
「お籠もり」をわざわざやる意味
さて、ここで本題です。お籠もりをやる意図とはなんだと思いますか?
これは私の中での正解なのですが、おそらく
自分と向き合うこと = 孤独と向き合うこと
例えば、孤独って言うとイメージするのが、ひとりぼっちの寂しい時間のことだと思うんです。
家族が出掛けていてひとり。
休日に友達が捕まらなくってひとり。
夜中にベッドでひとり。
寂しい。悲しい。これからどうしよう。こんな仕事してていいんかな。お給料上がらないよね。結婚出来るんかな。
…
そういう感じですかね。
これと、お籠もりの何が違うのかと言いますと、エネルギーの高い場所にいるということ。
じゃあエネルギーの高い場所って何なのよ?って話ですが、一概には言えません。
例えば、狭くて暗い場所よりも、広くて明るいところ。
地下よりも、地上30階。
ただの箱ではなくて、美しくて拘り抜かれた空間。
どうしてこういうところにやるのかというと、単に狭くて暗い場所だと、必然的に負の感情が襲ってきます。
人間は本来、陽の光を浴びるように造られているので、明るくて広い場所の方が思考がすっきりするし、前向きになるという生き物です。
ですので、そういう場所での孤独は、自分の中にある感情を解放してくれる要素があります。他の誰かの意見に縛られないということですね。
まぁ日本人はそもそも人の目を気にしながら生きる傾向にありますので、それを故意に調整する必要があるのは当然です。
私はよくラグジュアリーホテルを利用していますが、もちろんそれが難しいこともあると思います。そんな時はただいろんな通知をオフしたおいたり、そんなことだけでも構いません。ひとまず自分の感情以外をシャットアウトする環境にすることがおすすめです。
しがらみから解放されて自分と向き合うということ
例えば、
「日本人だし」
「会社員だし」
「もう30だし」
「起業だなんて」
「結婚しなくちゃ」
おそらく、ひとつぐらいは考えたことがあるのではないでしょうか。
そんな思い込みというか、感じる必要のないもっともらしい常識で抑え込んだ感情を解放しないことには、本当にやりたいことというのは殻に閉じこもったままになっています。
だからこそ、「もしかしたらこうしたら出来るかもしれない。」なんて思いを奮い起こしたり、現実のものにしようとする活力が沸く場になるんですよね。よく海外に行ってみて、「なんか覚醒した」なんて話を聞きますが、そういうことです。
多分そういう方達は、「日本人の仲間たちとウェイウェイしていた。」
訳ではなく、たったひとりで異国の方々と慣れない環境でやりとりをして、自分と向き合う時間が多かったからなのでしょう。
彼らには、日本人の社会人が持っているようなつまらない常識を持ち合わせていない人が多いのですが、それは単に常識を忘れたのではなく、もっともっと広い水準を自分の当たり前にしたということ。
ただそれだけのことです。
それを日本でやろうと思うのなら、何かしら非日常が必要なんです。自分の殻を破るためにもね。
それは自分で自分の感情を見つけるっていう、とんでもなく必要不可欠で苦しい作業です。
でも、ものすごく楽しい。
多分、そう感じるまでの間はまだ未来がふんわりしている状態で、「それよりも先にスキルを身に付けたい」とかそういう状態。分からないことが何なのかが分からなくて、まだまだ学びたい欲にまみれている頃だと思います。
それが、どんどん出来ることが多くなって、初めは必要ないかもしれないと思っていた知識なんかが役に立ったりもして、結果も付いてきて。
そうしたらだんだんと本当は何をしたかったのかが見えてくるんですよ。
それも、ある日突然に。
心の奥底にあったはずのことが顔を出してくるような感じです。
それは自分でも考えてはいけないと思っていたことだったりします。
当然ですが、それまで一生懸命考えていたら、の話ですが。
一度自分と向き合ってみると、どうなっていきたいのか。
誰と歩きたいのか。
何をすることが出来るのか。
同じようなことを目指している方たちの中に近しい目指すべき方はいるのか。
そんなことを仕事の合間に四六時中考えるようになります。
その中で迷っていたことの中から、カードを発見していくという作業。のような感じですかね。
なので、今やっている仕事が嫌で嫌で仕方ないと思っているのでしたら、自分がときめくことは何なのかを考えることから始めましょう。
転職を考えているのでしたら、ひとりでも生活していけるレベルのスキルを身に付けながらにしましょう。
多分、まだまだ自分のスキルに自信がなくて、作業に追われている状況ならほっとひと息つく時間で十分です。
それがひと段落したら、もしくは捨てる覚悟が出来たのなら、時間をしっかり取ってやってみるというのもありかもしれません。
あなたは何がしたいですか?
自分の心に蓋をしていませんか?
少しでも心当たりを感じるのでしたら、勇気を出して自分と向き合ってみましょう。
それをすることが出来るのは、あなただけですから。
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