なんとなく思ったこと:20240614

 義務教育レベルでは、人に強依存しないと生きていけない。単独での自立は厳しい。自立しているとするならば、必ず模倣した人間が周囲に存在するはずである。自分が自立できるようになるまで、可能な限り、学校や大学で学ぶべきである。そうしないと、周囲に迷惑を掛けながら生きる羽目になる。高次の人間になれば、周囲への甘え方が分かる。それなりの学歴を積めば、周囲へ負担の掛からない甘え方が分かるはずである。一人では生きていけないのは周知のごとくだ。それでも、依存する他者へ極力負担を掛けない生き方は、教育機関で学ぶべきである。そうしなければ、周囲に迷惑かけなれば生活できない人間になってしまうからだ。
 また、競争心ばかりが強く、人間関係の形成方法が分からない人間になると、周囲に受容されない不安や苦悩から、問題行動を起こす人間になってしまうだろう。そういう意味では、貧しい人というのは教育を最低限しか受けられないので、ある意味では哀れな存在である。だからと言いて、その問題行動に同情して、助力する気は起こらないけれど。
 教育は生活を豊かにするためには必要な自立する為の訓練である。十分に教育を受けられなかった人は、自分自身がどうなりたいのか?何に興味があるのか?などよく考えて、セミナー通信教育など受講するべきである。職業訓練学校だってある。周囲と常に同じである必要性はない。自分の実力をよく把握し、必要な教育を受講し、徐々にステップアップしていくことでしか、生活の向上は得られないだろう。
 一人で考えこむよりも、他者に頼った方がステップアップできる。自分自身の思い込みが自分の行く道を狭めてしまう。思い込みは自ら首を絞める行為に等しいのだ。自分自身の思い込みを解きほぐしてくれる専門家を早く見つける事である。
 問題解決を希望するのか?それとも自身への共感を希望するのか?でも頼るべき相手は異なる。私の場合は、問題解決を望むので、その道のエキスパートを望む。別に共感なんて不要なのだ。問題解決するための手段が必要なのである。他者に共感を求める弱い人間であってもいいとは思うけれど、それでは前進しない。現状で満足できるならばそれでも構わないと思うけれど…。でも、本当にそれで満足なのだろうか?
 ゼネラリストでは解決できない問題をスペシャリストは解決できる。ただ把握しているだけでは問題解決にはつながらない。問題を解決するための具体策が必要なのである。それが分からないならば、専門家としては失格である。
 そもそもADHDとか言っているけれど、健常と言われる人間には世間にどれほど居るのだろう?まさか中途半端なゼネラリストを健常人とみなしているわけではないですよね?そもそも健常人の定義って?
 私の周囲の底辺層は、他者から奪う事しか考えられないので、地獄そのもの。

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