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幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない7章~12章

前回の記事の続きですね

思考する自己 観察する自己

思考する自己と観察する自己、あわせて心である。なかなかに面白い考え方だなと思います。思考する自己は考えを司り、観察する自己は、考えることはせず見つめるだけの自分。マインドフルネス瞑想をするときの「呼吸に集中していたり、雑念が浮かんだことに気がつく自分」が観察する自己ということでしょう。そして雑念を浮かべる自分がが考える自己と…。悪い考えが浮かんだ時もフュージョンせずに今していることに集中すれば、気をそらすことができる。意識しながら深呼吸を10回するテクニックが紹介されていました。1日2回5分ほどやるとこのテクニックが上達すると推奨されていましたが、もっと瞑想している私に隙はない。結果?まだ復職してないからわからねーよ。

9章で悪魔に脅かされないテクニックとして心の悪い声からの脱フュージョン1日5分ほどの訓練がお勧めされているので余力があれば挑戦してみたいと思います(やらないフラグ)

感情

感情はコントロールできないが、行動はコントロールできる。感情が強く行動を支配するのは幻想である。だけど涙は止めれないですね、女の子だもん 男だけど。感情に飲まれずに行動できるそんな存在に私はなりたい。泣いちゃうみたいに限界はあると思いますけどね。咄嗟に手を出してしまったとか言い訳する人に対してぶつけてみたいこの理論。本当にやったら人間関係拗れそうですけど。私自身が感情に飲まれて動いてしまう可能性もありますしね(汗。

感情の「良い」「悪い」の判断

感情を「良い」「悪い」と判断すること自体が良くないらしいです。脱フュージョンの時はネガティブかポジティブかよりも自分の人生に役に立つか否かを重視すると書かれていたのに、判断すること自体が良くないと書かれているため、私はとても混乱しました。読み返すと脱フュージョンは思考の話であり、このパートは感情の話なので対象が別ですね。難しいです。

感情を悪いと判断してしまったときのテクニックや、感情を判断していると気がついたときのテクニックが書かれています。注意点として判断を解き放つことが目的であり、判断を止めることが目的では無いとなっています。判断を止めることはできないと書かれており、ACTの考えの中心に、「人間、無理なものは無理」という考えがあるように感じます。感情の判断は思考に比べると瞬間的なものに思いますが感情を判断したことに気がつく日はくるのでしょうか?感情の変化には心拍数の変動等、肉体的な兆候が発生するのでそのことに気がつけということだろうか?結局マインドフルネスの訓練が足りない。

最後に

これ復職後に職場で怒りや絶望の感情を抱いた時に、咄嗟に判断のテクニックを使うことができるのかと言われると難しい気がしますね。アンガーマネージメント?も6秒我慢しろとかあるみたいですけど、そこで我慢できる人間にアンガーマネージメントはいらない気もしますね。ひたすらマインドフルネス瞑想を続ける訓練に比べると難しい気がします。両方やるのが一番ですが…。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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