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自分の内側と、外側。

先日、母親と話していて、びっくりされたことがある。
私は、物心ついた頃から、心の中ですごく喋っている。
それも、ものすごくおしゃべりだ。
ずーっと考え事や、自分の気持ち、擬音など、何かしら喋っている。
独り言スタイルで、延々とあーだこーだ言っている。
驚いた時の擬音や、興奮した時の擬音はむしろ音にして出ていないか心配になるから、その方がいいのだけれど。
ただ逆に、こうやって文章にしたり、口に出すことが苦手だ。
なぜかうまく言葉が出てこなくなる。
まだ文章だと小さい頃から書いてきたからか、言葉が出てくるが…。
対人や外では全く会話が下手で、生まれてこのかた家族以外の他人(親方以外)と会話が気にせずできたことがない。
社会に出たらいろんな人と会話するようになるから大丈夫だよ、と言われたことはあったが、
社会に出て年月が経っても、いまだに対人ではうまく喋れない。
それを実感して落ち込むこともしょっちゅうある。
どうしてだろう。
こんなに心の中はお喋りなのに。

ただ、ここまでくると最早これも私の特性なのだ、と踏ん切りをつけれるようになってきた。
うまく言葉が出てこなくて詰まったり、どもってしまったり、変なことを言ってしまっても、笑っていればなんとかなる。(無理やり)
とりあえずあまり自分から話題を振らなければ墓穴を掘ることもない。
元々聞き手になることの方が昔から多かったので、
大人になってもそれを継続しているという感じだ。
自分のことを話したくなったら、親方か母親に思い切り話すとスッキリできる。
得手不得手はこの歳になるともうどうしようもないので、ある程度受け入れるしかないのかもしれない。
喋ること以外にも苦手なことがあるし、抱えていくしかない。
それも踏まえての、自分だ。
多分、心理学とか勉強すると、何かしら解決案とかあるのかもしれないけど。

え?みんな喋らないの?
て気持ちではある。

心の中がお喋りだと、一人で考えすぎるという欠点もある。
先日もとあることをひたすら考えていた。
答えが出るものではないのだけれど、ずっと仕事中も頭の中は喋っていた。
どうして?の繰り返しだ。
自分では重く考えてはいなかったのだが、題材が一般的には重い題材だったので、
ずっと考えていると、不思議と体調が悪くなり始めたので、
そこで考えること、頭の中で喋ることを止めた。
他のことを考えることで意識をそらした、ということが正解だけれど。
こればかりは、親方にも母親にも話せないような内容だったし、
SNSで書いていいことではないということはわかっているので書かないが、
頭の中の言葉でも「言霊」は存在するなあ、と実感した。
元来言霊の力は信じているけど、まさか体調を崩すまで引っ張られるとは思わなかった。
たかが言葉一つ、されど言葉一つだ。
言葉の重みは、確実にある。
言葉のありがたみも、幸せも、確かにある。
なんでも一長一短、表裏一体だ。


こんな風に、頭の中のお喋りをそのまま書こうとすると、
支離滅裂に長く書き始めるので、ここまでにしよう。
黒猫A氏も起きたことだし、
現実という外側に意識を戻そう。



可愛すぎる黒猫A氏のあくび可愛い


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